お知らせ:

グローバルヘルス・カフェ

番組へのお便りはこちら

※音声はこちらからお聴きいただけます。
番組をオンデマンドで聴く
聴く「第12回「もうひとりじゃない-へき地の新米助産師」(2015年4月21日放送分)」


<出演>
マスター:明石 秀親(国立国際医療研究センター)
ヨーコ:香月 よう子(フリーアナウンサー)
小原:小原 ひろみ(国立国際医療研究センター/医師)


■ オープニング

ヨーコ:お元気ですか、グローバルヘルス・カフェ、香月よう子です。国際医療協力にかかわる人たちが通うカフェってちょっと変わってませんか。ここのマスターはとても面白いので、わたし気に入って通っています。それではさっそく、カフェに入ってみましょう。



■ 十代の女の子が助産師!?

ヨーコ:ねえ、マスター、その写真の女の子すごくかわいいですね。

マスター:ああ、女の子に見えるけどね、この人、助産師さん。

ヨーコ:えー!

マスター:この人はね、カンボジアでね、ヘルスセンターといって、地方にある保健センターに勤めたばっかりの若い助産師さんなんですよ。
ヨーコ:何歳くらいなんでしょうか?

マスター:だいたい十代の後半くらいですね。半ばから後半。

ヨーコ:ふーん。こういう、女の子ともいえる子たちが、その保健センターというところに配置されるって、何かちょっと不安な気がしますが。

マスター:うん、そうですよね。だから、それは本人たちもたぶん不安だと思うんだけども、ちょうどこの写真を撮った小原さんがあそこにいるので、話を聴いてみたらいいと思うんですけども。
彼女は産婦人科の先生で、カンボジアの僻地の若い助産師さんを支援するプロジェクトをやって大成功を収めてきた人なんですよ。




■ 短期間で養成され現場経験の乏しい地方の助産師たち

マスター:ヨーコ:小原さん、この女の子たち、助産師さんなんですね。カンボジアではどんな問題があったんですか?

小原:はい、ヨーコさん、カンボジアでは1年でどんどんこういう若い助産師さんたちが養成されてきて、現場ではあまり経験がないので、女性が来たときに「診れないからよその病院へ行ってください」とか言ってたんですよ。

ヨーコ:たとえば、その18歳、19歳の女の子が助産師さんとしてそこの保健センターに行きました。教えてくれる人は?

小原:いないんです。やっぱり、助産師さんが1人で配属になってる保健センターが、国の保健センターの4割とかなので、あといるとしても男性の看護師さんの保健センター長さんくらいしかいないので、学ぶことが現地ではできないんですね。で、困って診れないから「どっか行ってください」とか言っちゃってたんです。


■ 病院の助産師に保健センターの実情を見てもらう

ヨーコ:私もちょっとそういうところには行きたくないなと思うんですが、その結果、小原さんはその1年で養成されて配置された助産師さんたち、その若い女の子たちを指導しに行くということをなさったわけですか?
小原:その地域でどうにか誰かが支援できないだろうかというのを、一緒にカンボジアの人と考えていくプロジェクトでした。

ヨーコ:具体的にはどんなことをなさったのでしょうか?

小原:まずですね、この保健センターの若い助産師さん、ふつうのお産まではできるんですけれども、何かトラブルがあったら対応ができないので、病院に送らないとだめなんですね。
だけど、病院に患者さんが悪くなって送ろうとすると、病院のお医者さんとか助産師さんが怒るんですね。「なんでこんなになるまで取っておいたんだ」とか「なんで診れないんだ」って怒られちゃうので、「もうやんなっちゃう」と言ってたんですね。それで、まずはどうも病院の助産師さんていうのが、保健センターの助産師さんの新人具合とか役割とかっていうのをわかっていないので、そういう役割をお互いわかるように一緒に会ってもらうところから始めました。

ヨーコ:どういう環境で働いていたんでしょうか?

小原:これがですね、すごくてですね、もう、電気がないのでバッテリーを持ち歩かないとだめで、真っ暗のところでお産して、1個しかバッテリー、電気がないので、たとえば患者さんが来るまでは保健センターの表に電気をつけておくんですけれど、お産になるとそれを中に自分でバッテリーを運んで持って行って裸電球1個みたいな、ほんとに車にあるバッテリーに電気をつけたやつのけっこううちらは不慣れなのでこれでどうするんだみたいな......
真っ暗な中でお産してたりですとか、スコールのなかバイクで往診というんですかね、女性、産後の女性自体、赤ちゃんとお産後の女性歩けないので......バイクで行って、雨期になるとスコールとかに遭いながらバイクで往診したりですとか......あとお産のときって器材を消毒するのが大事なんですけど、そういうのも煮沸消毒しかできないですから、やっぱり電気がなかったりしますし、電気使う機械もないので、20分煮炊きするところから始まっちゃうんですよね。

ヨーコ:煮沸といっても、ひねればガスが出てくるわけではないんですよね?

小原:いろんなタイプのがあるんですけれども、ガスの上に乗っける圧力釜みたいなものもあるし、そのガスが配給がなくて切れちゃったり、買えないとしょうがないから炭とかで煮炊きしたりとかですね、ちょっととにかくお産をするんでも、うちらが日本の病院でやるのとは考えられないくらい、煮炊きして消毒、煮沸消毒、器材やって、電気持ってきて夜中真っ暗ななかで介助したりとかちょっととんでもない環境で。
それで、病院の助産師さん知らないんですよ、見たことないんですね。自分は病院の、比較的県のなかでも、日本でいうと県庁所在地みたいなところにいると病院しか知らないので、そんな大変ななかで働いているなんて、全然知らなかったんですよね。

ヨーコ:なるほど。じゃあ、それを見た病院の助産師さんはどういう感じだったのでしょうか?

小原:全然知らなかったって、まず認めてくれて、こんなところで働いているんじゃ、こんな患者さん診れなくて無理ないよね、ってすごくわかってくださって、実際の環境見てからですね、すごく助けてあげなきゃだめだ、保健センターの助産師さん、若い子助けるのは自分たちだって思うように変わってくれました。



■ 新人助産師のピンチを救う!  

ヨーコ:その結果、病院の助産師さんと、それから保健センターの助産師さん、どんな交流ができたんでしょうか。

小原:すごくコミュニケーションがよくなって、お互い、1回知り合ったので携帯番号を交換しだしたりしたんですね。そうすると、すごくですね、いままで全然知らない人だったので、あと緊急態勢とかもないのでどうしたらいいかわかんないんですけど、その病院の助産師さんに困ったら携帯電話かけれるようになってきて、困ったら頼れるという感じに変わってきました。

ヨーコ:大変なトラブルにも対応できたということなんですが。

小原:新人の、ド僻地で働いている1人の助産師さんが働いている保健センターですね、お産のときに大出血した女性がいて、新人さんが「これもう自分で対応できない、これ死んじゃう」と思って、仲良くなった病院の助産師さんに電話をかけたら、病院の助産師が病院のお医者さんとセットで駆けつけてくれて、それでどうにかこうにか救命して、それでどうにか病院に連れてってくれて、その方生き残ったんですよ。
本当にジリ貧というか何もないようなところでもどうにか患者さん救命できたというので、助産師さんがすごくこういう従来の助産師さんがすごい病院の先生とか助産師さんをありがたく思うようになって、そしてうれしいじゃないですか頼られると、「よしよしそうか」みたいな感じで病院のお医者さんとか助産師さんも「やっぱり、ちゃんと目かけてあげないとだめだな」みたいな感じになっていい信頼関係がだんだんできてきました。



■ 複数の支援策を用意し、選択は自主性に任せる

ヨーコ:そして小原さんら、派遣された専門家グループはこれを仕組みにしていったわけですよね。具体的にはどんなことをなさったのでしょうか?

小原:まずはですね、1つの県の4つの郡くらいのところで、1年間こういうのをやってみて、実際僻地の助産師さんを支援する事例というのを何個か私たちのプロジェクトでは集めるような感じにしました。すごく、援助団体が入っててリッチな郡とかもあれば、誰もいなくてジリ貧の本当に支援もお金もなくて本当に何もできないというくらいお金がないくらいの地域まで4つの郡を対象にしたんですけれども、そこで助産師さんを支援する活動で、リッチな人ができるパターンもあれば、何も支援団体なくてもできるパターンまで、だいたい10個くらいの「助産師支援策」みたいなのを事例として集めて、それを全国の人を呼んだ研修のときに、全国の人に例として示したら、みんなゼロから始めるのは難しいんですけど、まねてやるのはけっこう簡単なんですね。
「うちの郡だとこれできる」とか「うちの州だとやれる」みたいにして、母子保健行政官のおばさんと病院の助産師さんで僻地の保健センターの助産師さんを支援する計画というのをつくってもらいました。
ヨーコ:3年間でできたという、大成功のプロジェクトだと思うのですが、小原さんとしてはそのポイントはどこにあったと思いますか?

小原:2つくらいあるんですけれども、一番目は援助の関係者が「あれやれ、これやれ」と言わないで、地域でやりだすのをこらえて待っててですね、地域でやりだしてくれて、実際、自分たちがやれるって、やりたくてやっているってものをちょっと待つようにしたのが、うまくいったポイントだと思います。
もう1つはですね、すごーくカンボジア、この母子保健の関係者て女性がやっぱり現場では多くて、助産師さんも女性ですし、母子保健行政官も女性で、病院の助産師さんも女性なんですけも、実はお金とか計画の承認とか、予算をつけられるとかというのは、やっぱりけっこう管理職の男性なんですね。その男性の管理職の人のため、病院長さんとか州の保健局長さんとか、郡の保健局長さんとかを本当に簡単な2日間の研修で、「こういうふうな支援策がありますよ。あの助産師さんのグループが計画したら承認してあげて、予算も探してきてあげてくださいね」と言ったら、「よくわかった」と、それまでなんというか関係ないと言ってたんですね......
本当は「母子保健大事」って言ってても何を地域でしたらいいかよくわからなくて、お上から地方から何か言ってくる研修とか待ってたんですけれども、地域でこういう支援態勢、実はこうお姉さんの助産師、病院助産師と若い子をつないであげればいいんだとわかってからは、本当に支援してくださるようになりました。



■ 小さな成功体験の積み重ねが重要

ヨーコ:仕組みがわかれば早いですからね、マスター?
マスター:まあ、中央はよかれと思ってつくるかもしれない、何かの決定なり政策をつくるかもしれないけれど、必ずしも現場のニーズがわかっててつくってるとは限らない。
そのへんは逆にそういう現場をちゃんと見るということも大事だと思いますし、先ほどの支援の仕方でもありましたけど、彼ら自身が小さいかもしれないけども、成功体験を積むことによって自分たちがだんだん自分たちもできるんだとそういう感じを持ってくることによってさらに大きなことなりたくさんのことを自分たちで企画して、自分たちができるようになるということが大事なんじゃないかなと思いますけどね。

 



ヨーコ:いかがでしたか? 今回は「もうひとりじゃない-へき地の新米助産師」をテーマに国立国際医療研究センターの小原ひろみさんからお話をうかがいました。それではまた来月、第3火曜日午後5時10分にお会いしましょう。お相手は香月よう子でした。

お知らせ

お知らせ一覧