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ラジオNIKKEI ROCK'n'ROLL部

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映画『ギミー・デンジャー』が9月2日の日本公開からスタートダッシュ好調!絶賛上映中の今秋、この『ギミー・デンジャー』公開記念特番の第2弾が決定!ラジオNIKKEIは2017年9月18日(月・敬老の日)午前8時00分~9時00分の1時間、特別番組『100% Raw Power インタビュー編~イギー&ザ・ストゥージズ』を放送いたします。

ロック史においてその重要性と影響力はヴェルヴェット・アンダーグランドやドアーズ、デヴィッド・ボウイ等と比肩する存在でありながら、特に日本国内においては過小評価気味であったイギー・ポップ、ザ・ストゥージズ。近年はグラミー賞2017・最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバム賞受賞、2016年開始のワールドツアーの盛況、フランス芸術文化勲章コマンドゥール受章、そして国内では今月一般上映が始まったザ・ストゥージズに肉薄したドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』のヒットなど、世界規模で評価が高まっています。

ラジオNIKKEIでは8月11日にイギー・ポップとザ・ストゥージズを徹底特集した生放送3時間特番『100% Raw Power ~イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ』をオンエアしたところ各方面から大きな反響を呼び、再放送のリクエストも多数寄せられました。そこで今回、特に好評だったメンバーの最新インタビュー~ストゥージズ2代目ギタリスト、ジェームズ・ウィリアムスンと、2003年のストゥージズ再結成からベーシストを務めるマイク・ワットのインタビューを、8月の特番では未放送だった部分を含むノーカット編集したスピンオフ特番を放送いたします。内容の一部をご紹介しますと、
・ジェームズ・ウィリアムスンが影響を受けたギタリストや音楽
・長年議論の的となっているストゥージズの3rdアルバム「ロー・パワー」David Bowie Mixの意義と制作秘話
・マイク・ワットが証言するストゥージズ再結成初LIVE当日の秘話
など、聴き応え十分の1時間特番です。

今回の番組はインタビュー部分が8割を占める、ある意味地味な番組かもしれませんが、この番組を聴けば映画『ギミー・デンジャー』を観たくなる(既に観た方も再度観たくなる)でしょう!
番組の感想を送ると映画『ギミー・デンジャー』鑑賞券が当たるリスナープレゼントも実施します。今回、楽曲リクエストは受け付けませんが、ハッシュタグ #iggypop0918 で「番組の1曲目当てクイズ」を実施します。こちらもリスナープレゼントの対象とさせていただきます!

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※住所、電話番号等は記入しないようお願いします
※「リクエスト曲」の欄は貴方が好きなイギー・ポップ、ストゥージズの曲を1つだけお書きください


【番組概要】
◇番組タイトル:『100% Raw Power インタビュー編~イギー&ザ・ストゥージズ』
◇放 送 日 時 :2017年9月18日(月・敬老の日)午前8時~9時(1時間番組)
◇放送メディア:
 ◎ラジオNIKKEI第1
 ◎radiko.jp(スマホアプリ、PCで聴く/全国無料/タイムフリーで1週間聴取可)
      タイムフリー(放送開始以降)
      http://radiko.jp/share/?sid=RN1&t=20170918080000
◇ツイッター :@metallic_ko(ROCKnROLL|ラジオNIKKEI)
        ※ハッシュタグ:#iggypop0918
◇ウェブサイト:https://www.radionikkei.jp/iggypop/



【ラジオ特番「100% Raw Powerインタビュー編~イギー&ザ・ストゥージズ」のインタビュー部分をより深く理解するための補足情報

◆ジェームズ・ウィリアムスン(James Williamson)
1949年10月29日にテキサス州カストロヴィルに生まれる。10代の頃にデトロイトに引っ越して、1970年にストゥージズに加入。その荒々しいギター・プレイは『Raw Power』の要となる。バンド解散後はプロデューサー/エンジニアとして裏方で活動。イギーのアルバムにも参加した。1982年に大学で電子工学の学位をとり、シリコンバレーで働いた後、ソニーの技術部門の副社長に就任。2009年に退社すると再結成したストゥージズに加入。『Ready to Die』に参加した。

◆ミック・ロンソン(Mick Ronson)
イギー&ザ・ストゥージズと同時期は、デヴィッド・ボウイのバックバンド「スパイダーズ・フロム・マーズ」でギターリストとして活躍、恐らく全キャリアを通して人気の絶頂期の1つだったが、1973年7月3日に衝撃の「ジギー終焉」宣言とともにボウイと袂を分かつ。ボウイと同じ悪名高き敏腕マネージャー、トニー・デフリーズのマネジメントの元、これまた同じくRCAと契約し、奇しくもイギー&ザ・ストゥージズが解散・ラストライブを行った1974年2月に初のソロアルバム「Slaughter on 10th Avenue」をリリース。デフリーズは華のあるルックスとギタープレイからジギーの「柳の下のどじょう」を狙うもアルバムのセールスは惨敗、プロモーションツアーの延長は却下される。その後のイアン・ハンター/モット・ザ・フープルでの活躍も白眉。

◆MC5※※
1964年に結成されたデトロイトを拠点に活動したロック・バンド。激しいギター・サウンド、過激なライヴ・パフォーマンスなど、ストゥージズと共通する点が多く、両者は親密な関係にあった。ライヴ・アルバムのなかで放送禁止用語を絶叫したり、マネージャーのジョン・シンクレアがホワイト・パンサー党を結成したりと、その挑発的な姿勢で、当時FBIから監視されていた。番組のインタビューではウェイン・クレイマー(バンドリーダー/リードギター)とフレッド・ソニック・スミス(リズムギター)の名前が出てくる。

◆ニューヨーク・ドールズ/ジョニー・サンダース(New York Dolls/Johny Thunders)
1971年にニューヨーク市で結成された米国のハードロック/グラムロックバンド。パンクの原型とも言われる。ジョニー・サンダースはリードギターを務め、特に1972年頃から激しいライヴや中性的なファッションが注目を集め、ルー・リードやデヴィッド・ボウイからも絶賛される(*wikipedia)。ニューヨーク・パンクを代表する一人。1975年にニューヨーク・ドールズを脱退し、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズを結成している。

◆アルバム「ロー・パワー」(Raw Power)※ <Bowie Mix>
ストゥージズが活動休止状態にあるなか、デヴィッド・ボウイに誘われてイギー・ポップが渡英。そこにジェームズ・ウィリアムスンとアシュトン兄弟を呼び寄せて作り上げた3作目(1973年2月7日リリース/コロンビア)。サウンドは前作よりシンプルで生々しくなり、ライヴ感溢れるガレージ・ロックで疾走する。映画のタイトルになった「ギミー・デンジャー」は本作A面2トラック目として収録されている。
アルバム制作過程において、ボウイのマネージャー、トニー・デフリーズはボウイをプロデューサーとして起用することを要求するがイギーは拒否。結局ボウイはミックスを担当することになった。当時ジギー・スターダスト人気に火が付き多忙を極めていたボウイ。加えて予算上の制約により、ボウイは「サーチ&デストロイ」を除く7トラックを米LAの使用料の安いスタジオで、わずか1日だけ費やす形でミックスが行われた。「サーチ&デストロイ」はイギー自身のミックスが採用された。リリース当時はセールスは芳しくなかったが後年非常に高く評価されるアルバムとなった。一方で各パートの音量バランスの悪さは当初より指摘されていた。具体的にはベースの音が殆ど聴こえない、ドラムの音が小さい、ヴォーカルが出過ぎている等。1989年に初CD化された際、当時のCD特有の音のダイナミズム不足などもあり、コロンビアは新しいミックスでの再リリースを望んでいた。イギーは一度は断ったが1996年にミックス作業に取り掛かり、1997年4月22日にイギーMix(リミックス)盤がリリースされた。イギーMixは音声レベル全体をブーストし、オーバーレベルで歪みが生じている箇所もあるくらいだが、総じてファンの受けは良好だった。同一タイトルで2つのミックスが市場に流通する中で、ファンの支持は分かれており、2017年8月放送のラジオNIKKEI特番に先駆けてツイッター上で行った投票では、ボウイMix派とイギーMix派は若干後者が多い程度でそれほど差は出なかった。

◆アルバム「キル・シティー」(Kill City)
1974年のストゥージズ解散後の1975年にレコーディングされ、1977年11月にBOMP!レーベルから「イギー・ポップ&ジェームズ・ウィリアムスン」名義でリリースされたアルバム。当初の目的は、イギー・ポップが新たにレコード会社と契約を獲得するためのデモ音源制作だった。75年当時イギーはヘロイン中毒の治療で精神科医院に入院しており、週末の外出許可を利用してヴォーカルの録音を行った。1977年3月、9月にデヴィッド・ボウイのプロデュースでRCAからリリースされたイギーSOLO作品「イディオット」「ラスト・フォー・ライフ」の"好調な"売れ行きのおかげで「Kill City」はBOMP!との契約を取り付け、同年11月にリリースされた。その後2010年にジェームズ・ウィリアムスンと過去に仕事をしたことがあったエンジニアEd Cherneyとの共同作業によりマスターのマルチトラックテープからリミックスが行われ、同年10月19日にBOMP!からリリースされた。国内盤のリリースはない。2010年以前にリリースされたCDにはボーナストラック入り盤が存在するが、この最終リミックス盤はオリジナル11トラックのみ収録。またA面4トラック目「I Got Nothin'」、5トラック目「Johanna」はイギー&ザ・ストゥージズのレパートリーで、既に73~74年にライブで披露されている。

◆ウィリアムスンによるイギー&ザ・ストゥージズ未発表曲の再レコーディング計画
アルバム「ロー・パワー」の制作過程では、デフリーズやコロンビア側に何曲かが不採用となった(却下された)。それらデモ/リハーサルテープやライブ音源は長年音質の劣悪なブートレグ盤(海賊盤)としてファンの間で流通していた。以前より、こういった「ロー・パワー」アウトテイク曲や、当時4枚目のアルバムがあったとしたら収録された可能性のあるイギー&ザ・ストゥージズの未発表曲を現在のテクノロジーでレコーディングし直したいという声はあった。

◆マイク・ワット(Mike Watt)
1957年にアメリカのヴァージニア州ポーツマスに生まれる。13歳の頃からベースを弾き始め、80年にカリフォルニアで結成したパンク・バンド、ミニットメンで注目を集める。85年にバンド解散後、新バンド、ファイヤーハウスを経てソロとして活動。2000年に感染症を患って生死の境を彷徨うが、復帰後にJ・マスキス+フォッグに加入。2003年のストゥージズ再結成ライヴに参加したことをきっかけに、ストゥージズに新メンバーとして加入した。

◆ミニットメン(Minutemen)
米カリフォルニア州LAサンペドロで1980年1月にD・ブーン(G & Vo.)とマイク・ワット(B & Vo.)を中心に結成されたパンクロックバンド。USアンダーグランドシーンでは重要なバンドの1つとして尊敬を集める。レコードはUSインディペンデントシーンの雄、SSTレコードから4枚のアルバムをリリース。4枚目のアルバムリリース(1985年12月)直後にD・ブーンが交通事故で亡くなりバンドは解散。マイク・ワットはショックのあまり鬱病を発症してしまう。
この危機を救ったのは1981年にニューヨーク市で結成されたソニック・ユースだった。ソニック・ユースはかねてから熱望していたSSTレコードと1986年に契約を結び、3rdアルバム「EVOL」を制作する。一方で酷い鬱病症状を見せ、音楽活動から完全に引退するつもりだったマイクに対しソニック・ユースはアルバムレコーディング・スタジオに招き、一緒に過ごすようになった。そして最終的にはアルバム収録2トラックでマイクがベースを弾いた(「In the Kingdom #19」、「Bublegum」)。これがマイクに音楽活動を継続する決定的なきっかけとなり、同86年ミニットメンの熱狂的なファンだったエド・クロフォード青年の熱烈なアプローチにより(ミニットメンのリズム隊がバンドをやっていないなんてもったいない)、エド・クロフォード、マイク・ワット、ジョージ・ハーレーの3人でFirehose(ファイヤーホース)を結成。

◆コーチェラ・フェスティバル(Coachella Valley Music and Arts Festival)※※
米国カリフォルニア州インディオの砂漠地帯「コーチェラ・ヴァレー」で行われる、アメリカを代表する音楽フェスティヴァル。2003年のコーチュラでストゥージズは再結成を果たした。そのほかにも、レイジ・アゲインスト・マシーン、ピクシーズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ストーン・ローゼスなどがコーチュラで再結成ライヴをして話題を呼んだ。

◆J・マスキス(Joseph Donald Mascis)※※
アメリカのロック・ミュージシャン。ダイナソーJr.のヴォーカル/ギタリストとして、90年代のオルタナ・ロック・シーンで注目を集める。ダイナソーJr.解散後はJ・マスシス+フォッグ、ウィッチなど、様々なバンドで活動。J・マスキス+フォッグがツアーの際にストゥージズの曲をカヴァーするコーナーを設け、そこにロン・アシュトンをゲストに招いたことが、ストゥージズ再結成へと繋がった。

◆『ベルベット・ゴールドマイン』(Velvet Goldmine)※※
1998年に公開されたイギリス映画。70年代に活躍した架空のグラム・ロック・シンガー、ブライアン・スレイドとカート・ワイルドの愛憎を描いた本作は、それぞれデヴィッド・ボウイとイギー・ポップをモデルにしたと言われている。ユアン・マクレガーが演じたカート・ワイルドが率いるバンド、ワイルド・ラッツはストゥージズ「T.V. Eye」「Gimme Danger」を劇中で演奏。本作のサントラでロン・アシュトンとマイク・ワットが初共演したことが、後のストゥージズ再結成へと繋がった。

◆キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジックバンド
ミュージシャン、画家、詩人...等多彩な才能を持つ米国人ドン・ヴァン・ヴリート=キャプテン・ビーフハート率いるバンド。フランク・ザッパと旧知の仲。1967年に1stアルバム『Safe as Milk』でレコードデビュー。初期の楽曲はブルース、サイケデリック色が濃いが、1969年リリースの3rdアルバムにしてロック史の最重要盤の1枚「トラウト・マスク・レプリカ」(フランク・ザッパとの共同プロデュース作)以降はフリー・ジャズ、現代音楽、前衛の要素が強くなっていく。


【テキスト引用元】
 映画「ギミー・デンジャー」プレス資料
※※同資料内 村尾泰郎氏(音楽ライター)

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