「テイスト・オブ・ジャズ」は、毎週日曜19:00~19:30で放送中。番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。
【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.731~唐組閉じる~】
唐さん(唐十郎)が5月GWの間に亡くなったと新聞のニュースで知る。享年84才。ぼく自身がそろそろ80才を迎えようと言う瘋癲チャンジ―(爺さん)だけに、どうしても知り合いなど周りは逝ってしまう人も多い。但し唐さんに関しては残念ながら一度も仕事をしたことも無いし、直接会ったことも無い。彼の周りの人には知り合いも多く(役者の小林薫や根津甚八など)、色々な関りもあるのだが、肝心のメインの当人だけは面識もないし(花園神社の紅テント公演等々は良く行ったものだが...)、番組に出てもらう等と言うことも結局無かった。
それにしても唐さんと言う人、今思えば実に凄い人だった。戦前から脈々と続く、それ迄の日本の演劇(=新劇)の世界を一人で「ちゃぶ台返し」的にひっくり返した人で、彼とその劇団=状況劇団の出現によって、日本の芝居の世界(歌舞伎や新派は除いて...)は大きく変わり、正に時代の革命児だった。
その彼の名前を初めて聞いたのは、演劇好きの大学の後輩からで、局に入ってすぐの頃。あの激動の時代の真っただ中の頃で「明日、大学(早稲田)そばの戸山公園の劇場跡で、明治OBの役者兼劇作家の、唐なんとか...が旗揚げ公演を行う予定。この男実に勇ましくもかっこいいしまた何かありそうなので、是非一緒に...」と誘われたのだが、入りたての新人の身で色々ままならない(同じ理由で山下洋輔の早稲田ピアノ炎上演奏公演...にも参加出来ず...)。彼には断りを入れたのだが、翌日彼から話を聞くと、なんと戸山公園の廃墟野外劇場で行われる旗揚げ公演は、警察の機動隊の厚い壁に囲まれ公演は中止、「その後皆でデモ行進でうっ憤を晴らしましたよ...」と言った、勇ましいと言うか悲惨な様子だった。確かその時の出し物が、横尾忠則のポスターで知られる、「ジョン・シルバー」か「腰巻お仙」のどちらかだったと思うが、唐と言う人には強烈な印象を受けたものだった。
それから数年後に、新宿の花園神社の境内で紅テントを打ち立て、唐十郎率いる状況劇場は公演を敢行、何時も超満員の人気だった。芝居は決まって最後にテントのバックの壁が崩れ、新宿の街が遠景で浮かび上がる。この紅テント恒例の屋台崩しは、常に外連味たっぷりなスペクタクルで、印象的な幕切れで、このクライマックスには、毎回大興奮させられました。劇団の中心メンバーで、若い女性に大人気だった小林薫や根津甚八などは、当時局の番組パーソナリティーを務めていた、秋田弁のやさぐれ絶叫シンガー~友川かずきの飲み友達、よく一緒に番組にゲスト参加しその後一緒にゴールデン街に流れる...等と言うこともしばしば。そんな時出るのが怖い唐さんの武勇伝。これでは余りお近付きにも...と思わせるエピソードも多く、出演交渉もためらう程だった。でも紅テントの芝居はどれもエキサイティングで格好良く、本当に魅了され尽くしたものだった。
その後彼の元から独立し、「新宿梁山泊」を立ち上げた金守珍の芝居にも良く通うようになり、鄭義信(ちょん・ういしん)と言う座付きの素晴らしい劇作家に出会い、彼らの傑品"人魚伝説"~上野の不忍池を背景として、池の彼方から数人が船で舞台に近づく...と言う感動的なラストシーンに痺れる...等、様々な劇体験をさせてもらいました。芝居を堪能出来た良い時代でした。朝日新聞の吉田純子編集委員は「日常の隣の夢の祝祭空間...」と題して、彼の追悼文を記しているが、まさにその通りの芝居の夢空間だった。彼女は最後にこうも記している。「人間を試し尽さずして死んでたまるか。泥水に飛び込んで暴れる唐さんを見て居られるうちは、この世界は未だ大丈夫だと心のどこかで思えた...」とも。良い追悼文ですね。
あの紅テントに浸った時代から早や数十年、今はもう芝居を見るようなことも無くなり、また食指を動かされるような芝居も殆ど無し...で、全く寂しい状態。そんな折に唐さんの死亡のニュース、何ともやるせなくて言葉もありません。またあのテント小屋に足を運ぶ興奮を...と、今は切に思う次第ですが...。
【今週の番組ゲスト:地底レコード 代表 吉田光利さん
M1「Pチャン / 渋さ知らズ」(『渋旗』より)








