「テイスト・オブ・ジャズ」は、毎週日曜19:00~19:30で放送中(再放送は毎週金曜日 18:30~19:00 ※特別番組放送により休止の場合あり)。番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。
【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.674~大江健三郎死す】
つい先日ジャズアイコン、ウエイン・ショーターの追悼文を載せたが、今度は文学界にヒーローの死を悼まねばならない。川端康成に次ぐ日本で2人目のノーベル賞作家、大江健三郎の死亡である。享年88才で死因は老衰だと言う。88才で老衰死とはいささか残念にも思えるが、この所余りその動静を聞かなかったので、ある意味燃え尽きた...と言うか、恬淡とした心境での死去なのかも知れない。ショーターそして大江等々、こうしたヒーロー達の訃報を耳にすると、ぼく自身もあと何年...と身につまされる思いもあり、寂しさも強く漂う。
「飼育」で東大の学生作家として芥川賞を受賞、戦後すぐに生まれ育ったぼくらの世代にとって、彼は正に「われらの時代」の旗手的存在だった。日本的な右翼思想の代表格だった、政治家&作家の石原慎太郎とはほぼ同年令だが、まさに対照的な生き方をした戦後民主派の代表格だった。今若い人の中で大江の名前を知っている人は、かなり少ない様と思えるが実際どうなのかは分からない。「セブンティーン」とか代表作は数多いが、やはり1作となるとノーベル賞受賞にも大きく貢献した「万延元年のフットボール」と言うことになるだろう。これは愛媛の深い森の中にある谷の集落に生まれ育った青年の成長記で、自身の生い立ちとも深い関わりを有し、自身の姿を投影した傑作だった。この小説の舞台にもなった愛媛県の内子町そしてその谷間の集落には、局員時代に愛媛・松山に出張の際に訪れたこともあったが、作品通り驚くほどに寂しい谷間の集落だった。
彼は音楽好きで特に日本を代表する作曲家、武満徹との親交が良く知られており、武満の作品にインスパイアされた小説も残している。そんな彼も若かりし頃はジャズ好きでもあり、セロニアス・モンクのライブをパリで聴いた印象的なエッセイを残したりもしていた。しかし彼と音楽と言うことでは、重い障害を負った息子の光が、養護学校時代から作曲の才を発揮、その才に注目したレコード会社が彼の作品集を出し(3枚ほどアルバムあり)、一時息子光の存在がかなりな注目を集めたこともあったが、ある意味それが最も大きな関りだったとも言えそうだ。光の作品は実にシンプルながら、印象的なメロディーを持ったピアノ曲がメイン。素朴な音楽ながら何か根源的な力強さもあり、当時時々制作していたラジオ・ドラマの伴奏音楽として、しばしば使用させてもらったりもしたものだった。
そんなノーベル賞作家とラジオたんぱ(ラジオNIKKEI)との関係と言えば、息子の光を通してだった。かつてラジオたんぱは社会福祉関連の番組も数多く、その代表格が障害者の方達とその家族向けの番組「重い障害児のために...」と言う30分番組だった。民放賞などラジオ関連の賞なども数多く獲得したこの番組、ぼくも制作に携わることも多くあった。その番組の中で障害者の方達の全国集会が神戸市であり、メインゲストで大江健三郎が当事者の親として祝辞を述べることになっており、いい機会なのでその祝辞のあとに息子の話などのインタビューを...と言う段取りになっていた...。だが残念なことに現地で急遽、大江の都合でそのインタビューは取り止めとなってしまい、このノーベル賞作家がラジオたんぱにゲスト登場と言う機会は、永遠に失われてしまった。
戦後民主派の代表格として、陽の当たらない人達にも常に深い関心を抱き続けた、社会に強くアンガージュする大作家が、どんな話を聴かせてくれるのか...、ぼく自身もかなり緊張して構えていたのだが、その機会は無くなってしまい大変に残念な想いをしたものだった。ラジオ屋としてのぼくの幾つかの残念な想い出の一つとして、今でもこの大江健三郎インタビューの未実現は忘れられない。偉大な作家大江健三郎の魂に静かに献杯!
【今週の番組ゲスト:トロンボーン奏者の 郡恭一郎さん】
M1「La Zorra」(『Prière』より)
M2「Annie Laurie」(『Annie Laurie』より)
M3「Oblivion」(『Annie Laurie』より)
M4「Isn't She Lovely」(『Prière』より)