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テイスト・オブ・ジャズ

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「テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、土曜曜22:00~、日曜22:30~で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.402~辛島文雄遺作】

 日本代表するピアニストの一人だった辛島文雄が亡くなったのは、今から1年ほど前の17年2月24日のこと。享年68才。彼が膵臓ガンで1年半ほどの闘病の末逝ってしまった時、このジャズコラムでも彼についての追悼を記したはずだが、その彼の遺作が今回発売された。『マイ・ライフ・イン・ジャズ』彼のピアノトリオ作である。
 
これまでそのラスト作品は『マイ・フェイバリット・シングス』とされており、これには今回のトリオの面々、井上陽介(b)高橋信之介(ds)の他に、tpとtsの岡崎兄弟など彼と親しかった面々も加わり、ゲストには日野皓正(tp)と渡辺香津美(g)と言う大物も集う豪華な面子で、寺島もこれが最後のレコーディング(16年2月、3月)と言うことをかなり強く意識した演奏を展開していた。しかし重い病にも拘らずその時は自身でもかなり好調のようで、こうした良い感じならば...と言うことで、最も得意なトリオフォーマットでもう1作作ろうではないか...と言うことになり出来上がったのが、このラストトリオ作『マイ・ライフ・イン・ジャズ』だった。アルバムタイトルも彼のジャズ人生をそのまま写し取った感じで「私生活では好き勝手やって来たが、ジャズだけは流行に目をくれず誠心誠意やって来た。自分がいいと納得できるものを信じてやってきた。その自信はあるね」と彼は語っていたが、このラスト作には特にその感じが強く出ている。
 打合せなし、曲も決めていない、その瞬間の思い付きでぱっと始まり、全てが一発録り。まさに究極のジャズレコーディングである。
 「
こんないい加減なレコーディングは無かった」と彼は語ったとも聞くが、この白鳥の歌(ラストソング)は今までいささか力演タイプで力任せだった感もあった寺島のピアノは消え、「弾けることしか弾けない」ピアニスト=虚心坦懐な熟達ピアニストの姿がそこにはあり、そのありのままの姿が聴くものの心を打つ。いささかテクニックにはよれる所があってもだ。

 アルバムは全部で9曲、抗がん剤治療中の彼としてはこれが体力的にも限界だったかも知れないが、レパートリーは彼のジャズピアニストとしての原点、ビル・エバンスの持ち歌が自然に多くなっており、それ等を愛おし気に唄うように奏で上げる。彼と同世代でライバルの一人でもあった名ピアニスト、本田竹広のスワンソングは、日本の童謡や故郷(岩手県宮古市)の民謡をジャズ化したものだったが、辛島の方はビル・エバンス。どちらもファンの記憶に何時までも残る名演集である。本田は本当に良くスタジオにも遊びに来て、ソロ演奏も何曲か残してくれたが、辛島は30年程前に1曲のみ。その録音も今はない。あの当時は彼が最も威勢の良い時で、ピアノ弦が切れるのでは(彼と山下洋輔さん位のもの)とこちらは冷や冷やしたものだが、迫力充分なソロ演奏だった。その辛島もそして本田ももういない。寂しいがこの現実を受け止めファンとしては生きていくしかない。時代は動いているのだ。それにしてもアルバムの解説書の中に、辛島の新宿ピットインでのラストステージ(死の1週間ほど前)のライブ写真が載せられている。やせ細って鬼気迫るポートレートだが、何か唇は笑っており至極満足そうでもある。安らかなれ、 辛島文雄。好いアルバムを残してくれた。
【今週の番組ゲスト:m.s.t(Make the Scenery Tune~景色に音を~)のピアニスト持田翔子さんとベーシスト小山尚希さん】
ミニアルバム『Pianium』『緑と風』から
M1Pianium
M2
「羅針儀」
M3
「夢」
M4
Passepied

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