【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.450~児山紀芳】
先日のこのコラムでも少し紹介したとおり、 ジャズジャーナリストの児山紀芳氏が、2月初旬に亡くなった。もう80才を超えていたはずだが、長年NHKのジャズ番組「ジャズ・トゥナイト」を担当しており、そのパーソナリティー役も昨年ぐらいから降板、大分体の調子を崩しているらしいとの話は聞いていた。そんな折彼が新しいジャズ本「いつもジャズのことばかり考えていた」(白水社)を発表、昨年秋お茶の水「ディスクユニオン・ジャズトウキョウ店」でその出版記念イベントをやっている場に偶然出くわし、久しぶりに短い挨拶を交わした。調子が悪いと聞いていた割には元気そうだったが、やはり昔のような張りには欠けた。「元気にしてる...」と声を掛けられ少し世間話をし、こちらも用事があったのと、彼の方もイベント開始直前だったので、それで別れたがそれが最後だった。
児山氏は日本のモダンジャズ全盛時代、70~80年代に当時の中心誌「スイングジャーナル」の編集長としてシーンを牽引していた。我が「テイスト・オブ・ジャズ」で毎月最後に登場、様々なテーマでジャズトークを繰り広げているライターの青木和富氏も、今回彼の想い出を中心に語ってくれており、その中で彼によってジャズライターの道が開けた話を披露している。まあかく言うぼくもそれと同様の一人で、ジャズに関する記事を初めて書いたのはスイングジャーナル誌だった。その後ぼくはライバル誌とも言える「ジャズ・ライフ」の方にレビューなどを描くようになり、余り児山氏との関係は深くなかったが、青木氏は彼との付き合いも長いだけに、今回の放送でも色々なエピソードも紹介してくれている。
彼は雑誌編集長を2度ほど務め上げた後、今度はレコード業界に転じ、ここでもその広い人脈を生かし様々なジャズアルバムを制作、一方クリフォード・ブラウンやアート・ペッパーなどの未発表音源の発掘作業にも努め、世界中のジャズ関係者から「ボックスマン(一人のプレーヤーのコンプリートボックスアルバムを制作)」としても知られていた。ただレコード会社は小規模な雑誌社などとは違いれっきとした企業、それだけに様々な軋轢などもあり結局は長続きせずに辞めてしまい、以降は物書き、プロデューサーなどとして活動、前者についてはラジオジャズパーソナリティーも行っていたようである。長い編集長生活で培った人脈は実に豊富で、海外の有名ミュージシャン達からの信頼も厚いものがあった。あのアート・ペッパーなどは「マンボ・コヤマ」と言った曲を彼に捧げており、その演奏は番組の中でも青木氏が紹介している筈である。
児山さんの編集長時代はジャズ全盛でジャズアルバムがよく売れた時代。元々関西出身で商売上手でもあった彼は「ゴールドディスク」と言う雑誌公認のお墨付きアルバムを毎月世に送り出すことになり、これがまた結構セールスを挙げたので受けに行っていた。しかしこの企画、中には売らんかな...のアルバムも少なくなく正に玉石混交状態。これが彼の評価を貶める大きな一因にもなっていたし、やり手に共通した強引さなどもあり結構色々言われ易い人ではあった。しかしジャーナリストとしてはやはり一流、ジャズ本のタイトルにもある通り、彼にはやはり「ジャズしかなかった」のであり、良い意味でのジャズ馬鹿でもあったのだ。葬儀は野暮用があり参加できなかったが、行った人に聞くとあの彼にしては...と言う感じで、いささか寂しい葬儀のようだったが、プロデュサー、ボックスマン、そしてジャズジャーナリストとしての彼のJ-ジャズに対する貢献度はかなり大きなものだったと思う。冥福を祈る。合掌!
【今週の番組ゲスト:音楽評論家の青木和富氏】
2月3日に亡くなられた音楽評論家の児山紀芳さんの思い出を語って頂きました。
M1「Manbo Koyama / Art Pepper」
M2「2 Degrees East - 3 Degrees West / John Lewis」
M3「Joy Spring / Clifford Brown & Max Roach」
M4「St. Thomas / Sonny Rollins」
