【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.841~アラン・グリーンスパンとジャズ~】
アラン・グリーンスパンと言うアメリカ人の存在。ぼくのような経済音痴でも知っているほどだから、中高年の人達ならば(若い面々でも知っている人は少なくないだろうが...)もうお馴染みの筈である。アメリカの金融政策を決定するFRB(米連邦準備理事会)の議長を4人の大統領の下、20年近く勤め上げ(議長職としても最長期間)、アメリカ景気の上昇やその維持に最大限の貢献をした...として、余りに有名な存在である。その彼がこの6月末に亡くなった。享年100才だという。
ところでこの100(年)という数字、「マイルスやコルトレーンの生誕100周年」、「国立駅開業100年」等など、何故かコラムテーマとしても時々登場する。マイルスやコルトレーン、彼らとグリーンスパンは、当然何も関係は無しなのだが、同時代を生きてもしかしたら、その人生行路の中でお互いに交差したのかも...などと思うと、このジャズとアメリカ経済の交差、仲々に興味深い処でもある。
実際の処、そうした可能性も無きにしもあらず...だったのである。と言うのもNY生まれのグリーンスパンは、高校時代に数学等とともに音楽の授業も大好きで、クラリネット吹きとしてかなりな腕前の持ち主だったと言う。そこで高校を出ると、ジャズ教育で知られるジュリアード音楽院に入り、ジャズを学んだらしいのだが、そのクラス仲間にあの白人サックスの雄、スタン・ゲッツがいて、その才能には全く刃が立たないと悟り、あっさリとジャズを断念、名門コロンビア大に進み、経済を専攻、その後はそちらに進んだのだと言う。もしそのまま彼が音楽院を辞めずに、その路を進んだならば、同年齢のマイルスやコルトレーンとの共演も...、などと考えるのもまた愉しいもの。もしかしたら彼は、名手バディー・デフランコと並ぶ、いやそれ以上にジャズシーンに君臨したかも知れないのだ。
あの帝王マイルスも彼と同年齢。同じバークリー音楽院に入学するのだが、マイルスは僅かな期間で辞めてしまい、直ぐにプロの路へ...。だから2人は殆んど学院で交差はしていないのだろうが、もしかしたらグリーンスパンの方は、当時から圧倒的な才能のマイルスの名前ぐらいは、意識していたかも...なのでもある。グリーンスパンも同級生のスタン・ゲッツも、同じユダヤ系移民。彼がその後実体経済の道に進み,ジャズとどう関わったか...。ジャズを愛し続けたか...、そこら辺は余りしかとはしないのだが、ジャズ嫌いで無かったことは確かだろうと確信する。その彼が今のトランプ大統領の下でFRB議長をしていたならば、どんな態度や行動を示したか...。その死のニュースを知りながら、そんなことを夢想するのも、また少しばかり興味ある処でもあります。
【今週の番組ゲスト:ウクレリストRIOさん】
M1「Coconut St.」
M2「Tipsy」
M3「Saudade do Brazil」
M4「525」




