8月19日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.08/18 番組スタッフ 記事URL
テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、各曜日で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.371~追分通信17(Ⅲ)変わりゆく追分周辺の自然・風景】

 8月11日は山の日だった。まさに信濃~長野県の為に作られた休日の様なもので、この日は県下各地の山々で小学生から高校生まで、多くの学生の集団登山も行われた。ただ麓はどうやら晴れていても山はあいにくの天気だけに、子供達も苦労したと思う。ぼくもお山(浅間山)の周辺から、八ヵ岳連峰、美ヶ原などが一望出来る高台に上がって眺めてみたが、残念なことに山々はどれも雲の中のだった。まあこの夏の最中の休日、ぼくのような暇人には余り関係ないが勤め人や工員さんなどはお盆休みが長く取れ、全く山に関心が無くとも嬉しいには違いない。ただし鉄道や道路、海外への航空便なども大混乱で、帰郷や遠出の人達は大変だったろう...と同情に堪えない。

 さてこの追分周辺もこの時期は大分人が込んで来ており、朝夕などは御影用水脇の小道は犬連れの家族連れで一杯。柴犬からプードル、チワワなどさながら犬の品評会の様相。
 
御影用水と言えばこの前は何と鴨が10数羽、こんなに多くの鴨の群れを見たのは初めてのこと。かなりな感激ものだった。また中軽井沢の商店街の外れでは雉の親子が悠然と散歩しており、これにも驚かされた。ただ以前は我が山荘の屋根にも寝そべっていた猿軍団は最近とんと見かけることも無くなってしまった。居ると厄介だが居なくなると何か寂しく、また自然破壊も進んだのでは...などと勘ぐってしまう。そう言えば今年この山荘が出来て10数年目、初めて蛍を見た。明け方何か明かりがふらふらと飛んでいる。よく見ると一匹の蛍。これには感激した。近くに用水から引いた小川が流れているのでそこで孵化・成長したものかもしれない。たったひとつ(蛍は一羽か?)だったが、実に愛おしい感じがしていつまでもそのか細い光を眺めていた。

 
サル軍団は消え蛍現れる...など、追分周辺の自然・風景もここ10数年で変化しており、何より気になったのは周辺に家(自宅・別荘)が増えたこと。また太陽光発電設備の増加とそれに反比例したコスモス畑の減少などである。御影用水の南側には今までほとんど家などなかったが、ここ数年林が切り開かれ次々と家が建てられている。まあこれもしょうがないことだが、何より家を建てるとその周辺の木々が全て伐採され、丸坊主になってしまうのだ。もう少し自然と調和させてと考えるべきだろうし、特に別荘を建てるならばなおさらのこと。これはなにも追分周辺だけでなく軽井沢全体に言えることで、近い将来軽井沢は別荘地としての地位を、蓼科、安曇野、那須などもう少し自然を大事にしている地域に奪われること必定の様に思われてならない。

 そしてもうひとつ気になっているのは太陽光発電施設の多さ。今ある空地や草地、あるいは林なども次々とこの施設に取って代わられている。原発などよりもはるかに良いとも思うのだが、こう多すぎると考えもの。荒れ地が売電で少しでも金になれば...と考えているのだろうが、そろそろ過飽和状態のようにも思える。そしてこの為にこれまであったコスモス畑(ほとんどが荒れ地に咲いている)を見かけることも無くなってしまった。これもまたこの時期としては寂しい限りである。赤・紫・白、色とりどりのコスマスが咲き乱れる景色、これもまた追分周辺の夏から初秋の美しい風景だっただけに残念至極である。

 
追分とコスモスと言えば、追分を「美しい村」と呼び、そこをこよなく愛した詩人、立原道造のことが直ぐに思い出されるが、軽井沢図書館で「立原道造の夢見た建築(種田元晴/鹿島出版会)」と言う本を見つけ、借り出して読んだ。立原は病の為に夭逝した(24才)抒情派の天才詩人として知られるが、また東大の建築科を首席で卒業した若き建築家としての一面も持っていた。夭逝したために実際の建築物としての作品は殆どないが、東大時代に最優秀賞を取った作品が「追分の芸術家村構想」で、図面だけでも素晴らしい作品と知れる。そうした立原の建築家としての側面にスポットを当てた珍しい評論集で、彼の生い立ち、追分に向けられた比類ない愛情などが、同じ建築家としての目で描かれており大変に面白かった。山荘に居る間はTVもないし新聞も取っていないので、もっぱら読書かジャズ・クラシック鑑賞。面白い本もいくつか読んだので、それらはこれからおいおい紹介していくことにしたい。では最後にぼくの最も好きな立原の作品から少々...


 夢はいつも帰っていった 

 山のふもとの寂しい村に。

 水引草に風が立ち 

 草ひばりの歌い止まない

 しずまりかえった午さがりの林道を...

 「のちのおもいに」

【今週の番組ゲスト:女流2トロンボーンユニット「THE BON BONES」の上杉優さん(写真右)、駒野逸美さん(左)

2ndアルバム『Celebration』より
M1
Celebration
M2
Night Lights
M3
Sudpol
M4
April in Paris

8月12日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.08/11 番組スタッフ 記事URL
テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、各曜日で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.370~追分通信17(Ⅱ)祝5周年!カフェ・グルマン】

 さて今週は先週のお約束通り「カフェ・グルマン祝5周年」と言うことで...。追分の山荘に7月末に着いて以降、今年の天候はかなりな絶不調で晴れの日も少なく、朝晩などは涼しさを通り越し長袖でも寒い位。まあ天気具合は今イチだが、日常はまったりとして悠々モードなのは例年どおり。山荘に到着した夕方、郵便ポストを見ると何かが括り付けてある。請求書ぐらいで後は殆ど郵便物も来ないので、何事かと思って手に取ると、これが招待状。「カフェ・グルマン5周年パーティーのお知らせ」とある。そうか平井さんのお店「カフェ・グルマン」もとうとう5年目を迎えたのか...と、グルマン勝手応援連の一人としてもいささか感慨深いものがある。「このたび当店は7月8日をもって開店5周年を迎えることになりました。これもひとえに皆様の多大なご愛顧とお力添えの賜物と厚くお礼申し上げます。つきましては日頃の感謝をこめて5周年パーティーを開きたいと思っています...」とあり、パーティー日時が書かれていた。見ると前週の金曜日の夕方から...、もう終ってしまっていたのだ。残念至極。しかし前もって知っていたとしても、その日は東京で仕事があり参加は叶わなかった。じゃ明日の朝(モーニング営業中)お祝いも兼ねてお店に寄ろうかと決め、その夜は早めに就眠。

 
ところでこのカフェ・グルマン(Tel0267-31-6554)というお店、今までこのコラム、特に数年前からの追分通信ではしばしば登場の常連だが、知らない方の為におさらいを...。追分の外れの御影用水脇にある(正確には我が山荘と同じく御代田町の端)、軽井沢随一の眺望と食事を誇るドームハウス型の銘店。知り合いなどが来ればいつも歩いて20分ぐらいのこの店に連れて行き~先日もぼくの台湾取材旅行のパートナーを務めるミス・エミリーとその旦那(ともにラジオたんぱOB)もここに案内し感激されたが、お勧めの軽井沢グルメ&眺望のカフェ(絶品クレープとガレットが売り物)である。そして何よりモンゴルのパオにも似た多面形の独特なドームスタイルの建物で,それを元広告マンのマスター平井さんが、一人で設計から建築まで3年以上かけて作り上げたと言う、涙の結晶とも言える建物。その経過を3年間ほどぼくはうちの亡きバカ犬、ピーちゃんと共に散歩の途中に見続けて来たと言う曰く付きの物件でもあり、それが完成し初めてカフェなのだと知って感嘆、開店2日目に店に顔を出し、直ぐにお馴染みになった次第。

 
翌朝、御影用水脇の小道(少し前まではバカ犬を連れて毎朝散歩していた所)を通って店に着くと、丁度朝8時のモーニング営業開始時。マスターの平井さんの奥さん(フランス語堪能で通訳をこなす)が色々準備をしている最中で、ぼくは当然一番乗り。「あーら、小西さんお久しぶり、何か交通事故にあったんですって...大丈夫なの?」と気さくに話しかけてくる。5周年のお祝いとパーティーに出れなかったお詫び、事故の概要など積もる話をし、娘さんの作るパリパリの皮が病み付きになる絶品ガレットセットを注文。ここのBGMはフランス語の有線トーク放送で、内容はさっぱり分からないがトークが音楽の様でなんとも心地良い。少ししてマスターも登場。改めてお祝いとパーティーの話などを伺う。パーティーには全部で60名ほどが参加、かなり盛況だったと言う。「出たかったんですけどその日は仕事が...」と詫びると、「別荘の方達には余り知らせなかったんですが...」とのこと。

 
それにしてもこうしたお店は5年続くことが一つの目安で、店が始まった頃平井さんも確か「5年持てばいいんですがね...」とも語っていたので、その目標を完全にクリアー、次の10年目を目指しまた新たなスタートを切ったところでもある。「店は5年目ですが、ここで店を始めようと思い立ってからは、もう10年近くになりますかね」とのこと。場所を決め設計をし、ほぼ一人で基礎工事から建築を始め、3年余りでこのパオ形状のドーム建物を作り上げた。キットの工作や電気器具など説明書があっても、容易に組み立てられない不器用なぼくなどからすると、平井さんのこのお仕事振りはもう何とも形容しがたいもの。それだけで驚きなのだが、一方パティシエの娘さんの方は、本場のクレープ、ガレットなどの料理修行にフランスに渡り、そこで腕を磨きお店で披露...。まさに喝采ものの親娘鷹なのである。

 「毎朝バカ犬との散歩の折、変わった作りの家なので、何ができるのか...バカ犬ともども大変愉しみだったんですよ。それがカフェとは本当に驚きましたね」「そういろいろ苦労はありましたが...、まあどうにか出来上がって...」とあくまでも謙虚なマスターで、彼や奥さんの人柄、そして娘さんの腕前等々も相乗され、別荘族だけでなく地域の人達にも愛されている。「矢張り春先とか冬場は地元の人が主体ですから...」と言う通り、地元にも着実に根を下ろしている様だ。
 
そしてこのお店の大きな特色の一つが、犬同伴が許されるお店のテラス席。ここから鴨が群れ集う御影用水越しに眺めるお山(浅間山)の景色は間違いなく浅間山麓地域随一で、いつも犬連れのお客で満杯。その上近くの御影用水脇にドッグ同伴をメインにした小規模高級ホテルも1年ほど前に誕生、そこの客も口コミでやって来るようでもある。まあそれやこれや、これから5年、10年とお店が続くのは間違い無いと思われる。
 
これからも頑張ってください平井さんご一家!ぼくも出来るだけ勝手連で応援します。尚お店の情報はホームページで...、お客の口コミなども載っており、かなり好評です。軽井沢に来たらこのカフェ・グルマン、足を運ぶべきです。きっと満足するはずです。
 
最後に祝5周年と言うことで、ぼくからお店「カフェ・グルマン」へ...、フランスが生んだジャズ・アコーディオンの天才、リシャール・ガリアーノの「リベル・タンゴ」を...。天才がタンゴ界最大の鬼才、ピアソラナンバーばかりを取り上げた傑品アルバムに収録されているこの演奏、フランスならではの強靭さと優雅さのバランスが秀逸です。
【今週の番組ゲスト:
ジャズジャーナリストでSelim Slive Elementzのギタリスト・小川隆夫さん】
8月23日リリースの
1stアルバム『Resurrection』から
M1Strange Vibes
M2Call It Whatever
M3Dark, Dark, Dark
M4Double Image
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8月5日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.08/04 番組スタッフ 記事URL
テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、各曜日で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.369~追分通信17軽井沢ジャズフェス】

 7月も押し詰まってようやく追分の山荘にたどり着くことが出来た。毎年7月半ばには...などと考えているのだが、録音の貯め録りや打ち合わせなどで結局はこの時期。まあこれも仕方ないでしょう...。さて今回の追分通信は「カフェ・グルマン祝5周年」のタイトルで、それをものする為わざわざ朝の開店時(8、9月の土、日は8時から実施)のお店へと足を運び、マスターの平井さんともお話をし、お祝いの言葉も述べさせてもらったのだが...、このテーマは次回に。
 
と言うのもそれほどには期待していなかった第6回軽井沢ジャズフェス(カフェ・グルマンを訪れた日の午後開催)、これが初回にも比べられる素晴らしい内容。充分に楽しませてもらったので、そのフェスレポートを今回はさせて頂くこととした。平井さんスンマセン!

 
今回の「軽井沢ジャズフェス」、この立役者だった伊藤八十八プロデューサーが亡くなって3回目。奥さんの妙子さんが奮闘して今回も開催にこぎつけた訳だが、パンフレットにも構成・演出、高平哲郎氏とその名前が列記されている程に、高平氏の関与が大きかった。古くからの友人である高平氏の演出とあらば...と言うことで、いつもは気弱なぼくなどもフェス評を書かせて欲しい...と、レギュラーでレビューを担当しているジャズ・ジャパン編集部に頼んだ程...。ただこの希望は他のフェス評を色々載せるので今回は勘弁して下さいと体よく断られてしまった。そこでこのコラムと他のジャズ媒体に書かせてもらうことにしたという次第。
 
ところでこのフェス、軽井沢の大賀ホールと言う場所柄どうしてもライター、ディレクターなどジャズ関係者の顔は少ない。それでも新宿カルチャーのボス「ダグ」のマスター中平穂積氏や同じライター仲間の岡崎正道氏、故伊藤氏とも仲の良かったジャズプロデューサー伊藤潔氏(名古屋から駆け付けやようだ)などの顔が散見された。始まる前に楽屋を覗き妙子さんを始め高平氏や司会も務めるテナーの誠一ちゃん(中村誠一)などに挨拶。今回嬉しいことにはモンティー小林(ds)クリヤマコト(p)寺久保エレナ(as)など知り合いも多数登場。それらの人とも軽く挨拶を交わし客席に着く。客席もいつも通り年令層は高いが、ほぼ満杯で一安心。

 
オープニングは地元()での活躍も長い「オプ・サンズ」と言うセミプロ・フルバンド。マスターは軽井沢に別荘を持つゴルフ会社社長でメンバーにはプロも多い。彼らの演奏が終わると次の登場は、今回の目玉の一つ、若手最大の注目株である桑原あい(p)のストリング・カルテット。このユニット、ヴァイオリンとチェロ、それにベースと言うユニークな構成で、普通こうした編成の演奏は意欲が空回りしてしまうか、ストリングスが機能せずに終わってしまうケースも多いのだが、そこは才女桑原。まずそのピアノ技が素晴らしく、またストリングスアレンジも抜群、聴き応えあるものに仕上げてくれた。桑原はスティーブ・ガット、ウイル・リーと言った超大物とNYでレコーディングを行い、そのアルバムも今年春に発売され、いよいよ世界基準のピアニストに成長しつつあることを多くのファンに印象付けた。そのスケールアップした姿をそのまま写し出したステージで、ウエストサイド物語の「サムホエアー」など全部で4曲ほどの演奏だったが、強烈な印象を残した。前作からプロデュースを担当、彼女を飛躍的に成長させた功労者の伊藤潔くんも、「良かったねー」と言うと「今まさに伸び盛りで次も期待大ですよ」と返してくれた。桑原に続いてはこれも若手のホープにしてこのフェスの常連、毎年成長ぶりを窺わせる寺久保エレナ。アメリカで活躍中の彼女は、リーダーではなく師匠ヴィンセント・ハーリングとの2アルトユニット(ドラムはモンティー小林)での登場。相変わらず良く音が鳴っており、女性とは思えないスケール感ある演奏だったが、師匠との共演だけにいささか遠慮も感じられた所は残念だった。次回も彼女は登場してくれる筈で、この次に期待したい。

 
休憩をはさみ続いては仙波師匠(仙波清彦)のパーカッショントリオ。小太鼓の家元仙波流の師匠でもある氏は、あの「スクエアー」のドラマーも担当していた器用な才人。その彼とドラマーの鶴谷智生によるユニット「せんばづる」にもう一人ドラマーを加えたトリオのパーカッションユニットなのだが、これが迫力充分で聴き応えあった。ラテンジャズ系でこうしたパーカッションの饗宴はしばしあるのだが、ジャズ系ではあまり見かけない。その上に邦楽&ジャズに通じた粋人の師匠だけに、エンタメ精神にも溢れステージを盛り上げる。言うこと無しである。そして次が司会も担当した中村誠一ちゃん。ベテランの風格充分でいよいよテナー・タイタン(大物)になった感あり。彼には9月の番組で娘さん(今や売れっ子シンガー)と共に、親子共演で登場してもらう予定。
 
そしてイベントのトリを飾ったのが今やJ-ボーカルを代表するマリーン。「私をこうしたボーカリストに育ててくれた故伊藤プロデューサーに感謝の念を込め歌います」と語り、吉田次郎、クリヤ・マコトと言った達人を従え、「レフト・アローン」などを熱唱。まさに力感籠った熱い唄いっぷりで観客を酔わせる。感激、感激の心境である。その上彼女をフォローする吉田、クリヤ、この2人の達人プレーも圧巻。こうした見事な流れを演出する高平氏もやはりお笑い&ショウビジネス界の鬼才にして天才である。
 
全体で4時間強、たっぷり楽しませてもらった一日でした。また来年も大賀ホールで...
【今週の番組ゲスト:
キングインターナショナル RESONANCE RECORDS関口滋子さん】
M1Jingles /   Wes Montgomery-Wynton Kelly trio
M2Bluesette / Jaco Pastorius
M3All My Yesterdays / had Jones - Mel Lewis Orchestra
M4「Big Dipper / had Jones - Mel Lewis Orchestra」
M5「Nardis  / Bill Evans」
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7月29日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.07/28 番組スタッフ 記事URL
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【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.368~青木和富氏ジャズトーク】

 このコラム原稿を記している今はまだくそ熱い東京にいる訳だが、コラムが出る当日はかなり快適な追分の山荘暮らし。その上ぼくも関りを持つ6
回目を数える「軽井沢ジャズ」の当日でもある。そのフェスの模様などは次回以降の追分通信で記すことにするが、先日このジャズコラムを愛読している(?)と言う、某オールドボーイ(何と信州・千曲市在住らしい...)からメールが来て、「ジャズの話題が少ないのは、タイトル違反でどうしたものなのか...」と言う趣旨のお叱り。言われれば確かにご指摘の通りで反省しきりなのだが、これはタイトルの付け方が良くなかったからに他ならない。ぼくの気持ちとしてはこのコラムは『小西啓一のジャージー日和』とでも言った感じのもので、直截にはジャズ(JAZZ)のことを扱っていなくても、そこには安倍政治への怒りから好きな映画、ミステリー、温泉、山行、ラグビー観戦等々、ぼくのジャージーな気分や日常・考え方を反映しているものだとも思っており、そこら辺を汲み取って頂ければ...とも勝手に思っていたりするのですが...。

 
さてそんなお叱りもあったので、今回は丁度今週やっている青木和富氏のジャズトークについて紹介しようかと思う。この企画は今年の春からスタートしたもので、昨年は青木氏にジャズ100数十年の歴史を10数回で語ってもらう...と言う、やや無理な内容をお願いしたので、今年はわざわざ富士山の麓の高原別荘地から通ってもらうお礼として、彼が好きなテーマを選びそれについて勝手にエッセイ風に語ってもらうと言う、かなりお手軽な企画(青木先生の類稀なる博識と個性も出るに違いないと言う深謀遠慮もある)としたもの。ただそこはまじめな青木氏だけに先月はジャズ界きっての鬼才&奇才、ピアニストにして作曲家のセロニアス・モンクにスポットを当てており、今月は夏真っ盛りと言うことで、ジャズフェスをメインとしたライブアルバムの名演と言うことになった。
 夏でジャズフェスと言えば少しジャズをかじったことのある人ならばまず思い浮かべる、ニューポート・ジャズ・フェスのドキュメンタリー映画、バート・スタイン監督の「真夏の夜のジャズ」からアニタ・オデイの名唱。そしてウエスト・コーストを代表するジャズフェス、モンタレー・ジャズ・フェスのチャールス・ロイド・カルテット(キース・ジャレットを含む超豪華メンバー)の「フォレスト・フラワー」等々、別項に記載されている全4
曲。どれも納得のライブナンバーばかりでその魅力を青木氏は軽妙に紹介してくれる。ラストを飾るのは彼が中学生時代に実際にサンケイホールで聴いた、キャノンボール・アダレー・グループの「ニッポン・ソウル」。ここら辺から彼のジャズ遍歴が始まった訳だから半世紀以上良く続いたもので、そう言えばぼくも同じようなジャズ遍歴である。
 

 では青木流でなくお前のベスト・フェス・ライブは...と聞かれたら、演奏内容・観客動員・沸き方、ラジオたんぱとの関わり等々、色々な意味合いからあの今は無き、田園コロシアムで行われたハービー・ハンコックなどマイルス抜きのマイルス・バンド(フレディー・ハバードが代わりに参戦)~スーパーユニット「VSOP」による1979年の「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」ということになるだろう。このライブ、面子が面子で彼らの絶頂期のライブだけに悪かろうはずもなく、そのプレーは今も永遠なもの。ファンの動員も最高で、人気の面でも今のロックフェスに対抗できるような勢いのあるジャズ時代があったことを証明している。
 そしてこのライブには我がラジオたんぱ(現ラジオ日経)の当時の若手局員(入社3年目ぐらいまで)男女10名ほどを引き連れ、田園コロシアムに乗り込んだことである。今は皆定年を迎えたり退社するなどで居ないのだが、ジャズ好き、ライブ好きが当時はラジオたんぱにも数多くいたのであり、彼らの歓声も間違いなくこのライブには収録されている。そうした意味からもこのライブ・アルバムは、ぼくにもまたラジオたんぱにとっても意味あるものと言えるのです。

【今週の番組ゲスト:音楽評論家の青木和富先生】
「ライブアルバム」をテーマにお送りします。

M1Tea For Two / Anita O'Day

1958年ニューポート・ジャズフェスティバル「真夏の夜のジャズ」より) 

M2Forest Flower-Sunrise / Charles Lloyd

1966年モンタレー・ジャズフェスティバルより)

M3Compared To What / Les McCann & Eddie Harris

1969年モントルー・ジャズフェスティバルより)

M4Nippon Soul / Cannonball Adderley

1963年東京サンケイホール)

青木先生自慢のキャップ
サンケイホールのライブのメンバーだったJoe Zawinulに生前直接貰ったものだそうです。

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7月22日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.07/21 番組スタッフ 記事URL
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【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.367~日野原重明氏死去】

 日本の医学界の良心とも言える日野原重明先生が亡くなった。享年105才。我がラジオ日経では今年の5月まで週一回のレギュラー番組「日野原重明の輝く顔と輝く心」をこなしており、放送媒体での先生の最後の声もラジオ日経で、と言うことで、局と先生との関係は本当に因縁浅からぬ所。死亡のニュースが出た翌朝のTVワイドショーを何気なく見ていたら、ラジオ日経と局のプレートが大きく映り、カメラはスタジオにパンしていき、そこに居るのが大宮杜喜子女史。日野原番組を先生と務めていた彼女が、番組の最後の収録模様や想い出などを語っており、感慨深いものがあった。彼女はぼくが担当してからの「テイスト・オブ・ジャズ」の2代目担当アナウンサー。局に入って直ぐの彼女に番組担当を頼み、以来10数年色々なミュージシャンやレコード会社のジャズ担当者などをゲストに迎え、番組を続けて来たものだった。あの頃は仲々に可愛い女性だったが、今や医学関連に精通したベテランプロデューサー兼パ=ソナリティーと言うオールドガール。歳は取ったがまだチャーミングさも残した、ぼくにとっても愛しのジャズガールの一人でもある。

 まあそんな脱線話は置いておくとして、肝心の日野原さんだがぼくが初めて先生と会ったのは、タンパ放送の一つの柱だった(今もそうだが)医学関連番組の企画委員の一人としてのこと。担当したこの医学番組は東大の内科教授連中(第3内科まであった)や慈恵医大の教授など錚々たるメンバーばかり。局に入って間がなかったぼくには、超一流が集まる番組だけに企画委員会はそれこそ超が付く高級料亭やレストランで開催、そこだけは初体験ばかりで嬉しくもあったが、企画委員の顔ぶれだけでもかなり荷が重いものだった。その上当時の教授連はどれもその道の最高権威だけに、生意気なぼくなどは態度が良くないと叱られることもしばしば。そんな中にあって一人優しかったのが日野原先生で、他の権威に懲り固まった面々(反権威主義の京大医学部出身も影響あるかも...)とは大違い。当時はまだ学生運動も全盛で、特に大学の医学部変革なども運動の大きなテーマになっていたが、あの日野原さんの存在を一躍有名にした「よど号事件」の直後だけに、教授連も学生を悪者のようにののしることもしばしばだった。ただ日野原さんだけは、あんな死に繋がる様な恐ろしい経験をした後でも、決して彼らのことをひどい口調で語ったりしなかった。まあそんなこんなあって日野原重明と言う先生は、人格的にも素晴らしい人だと敬愛していたし、ある意味憧れの存在のでもあった。ただぼくが医学番組を担当したのは局に入って2年ほどで、以降は他の関係番組の担当になってしまい、先生とは余り関係を持つことは無かった。ただ局で出会ったりした時には挨拶を交わし、音楽の話(クラシックに造詣が深いのだが、結構ジャズなどにも関心があった)などもしたものだった。

 その先生と再び関係が出来たのは、前述した先生と大宮女史との対談レギュラー番組「日野原重明の輝く顔と輝く心」を、ソニー・エンターテインメントの子会社役員E氏(昔はジャズ番組の敏腕ディレクターだった)と共同企画でCDブック化して、ソニーから同名タイトルで発売したことにより、何回か挨拶などで聖路加病院の名誉院長室へもうかがった。このCDブック売れ行きはイマイチだったが内容はソニーミュージック・ダイレクトのスタッフの中でも好評で、ソニーのくんとは日野原企画第2弾として、先生の書いた曲(「葉っぱのフレディー」等々かなりな佳曲多し)をソニーが抱えているクラシックの有名ピアニストなどを起用し、CDブック化しようという企画を立案、先生も乗り気だったのだが、肝心のソニーミュージック・ダイレクトの動きが遅く、同じような企画を他のレコード会社がやってしまい、計画は残念ながらおじゃん、日の目を見ることはなかった。

 先生はあの「よど号事件」に関わったことで、それからの自身は生かされているんだ...と言う強い認識を持ち続けていただけに、心の底からボランティア精神に溢れた博愛の人生を生きた。まさに素晴らしい人だった。合掌! 
【今週の番組ゲスト:シンガーのギラ・ジルカ」さん】
『ギラ山ジル子project  one・two』から
M1「年下の男の子」
M2「あなた」
M3「木綿のハンカチーフ」
M4「喝采」

7月15日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.07/14 番組スタッフ 記事URL
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【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.366~丹波焼探訪】

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月の最初の週は大忙しだった。まず数日追分の山荘に行き、軽井沢ジャズなどの用件処理、その次の2日間は山梨県の韮崎、その間8月夏休みの為の録り貯めを東京のスタジオに戻って行い、その後直ぐに兵庫県の丹波と但馬地方に5日ほど滞在と...、オールドボーイとしては海外取材と同じくらいに目一杯動き回った。まあ疲れながらも結構愉しい発見も多い旅だったが、ラストの兵庫旅行は以前から誘われていた娘の旦那の実家訪問がメイン。旦那の実家は丹波篠山市の郊外、立杭(たちくい)と言う地区にある丹波焼の窯元の一つで、もう1006代も続いている銘家。現在は旦那のお父さんとお兄さんの二人で陶勝窯と言う名称の窯を続けており、実家と作業場を持ち立派な登り窯まで付いている由緒正しき家系。この丹波焼、日本六古窯の一つとされるもので、50を超える多くの窯元が並んでおり観光客も多い焼き物の里。前から山深い辺鄙な所と聞かされ続けていたのだが、行ってみるとそんなに山深い感じも無く、静かで落ち着きのある山里だった。丹波焼は古くからの伝統を守り、シンプルながらも長く楽しめるデザインの日用食器を多く作っており、ぼくも茶碗などいくつか買ってきた。

 
古い歴史を持つこの陶器の里には、市野、大西、大上と言った姓が多く、中でも市野が3分の2ほど。旦那の実家もその市野姓で、丹波焼の窯元を代表する一人として叙勲を受けたりもしている。この里にはまた兵庫県の県立陶芸美術館も設置されており、それが市野家から小川を隔てた真ん前の山中にある。当然そこに見学に行ったのだが、そこでの催し物が装飾性の強いドイツのマイセン陶芸展とはシンプルさが売りの丹波焼の里としてはいささか皮肉な感じもしたが、中々に立派な建物で当然丹波焼コーナーもあり、歴史・沿革などが理解できる仕組み。陶勝窯の作業場には作品の展示場や静かな池を借景にしたテラスなども設置されており、まさに癒しの空間で、作業場では簡単な陶芸体験も出来、娘夫婦は茶碗などを作っていた。ぼくはその間を利用してこの里の端にある温泉施設「こんだ薬師温泉(この地域の総称が"こんだ"である)」で湯あみを愉しんだが、これが自噴の仲々のお湯でなにより湧出量が多いのが嬉しい所。たっぷり楽しませてもらいました。

 
丹波篠山市はあの、でかんしょ節で知られる古い城下町で、もともとは徳川家康が豊臣を攻めるために作った出城。武家屋敷街や商人地域などかつての街並みも一部保存されており、大阪からも1時間ちょっとと言う便利さもあり、結構関西圏からの観光客も多く、小洒落た喫茶店などもいくつか見掛けた。閑静で落ち着いた魅力的な街だが、半面いささか活気に欠ける所でもあった。

 
ところで今回の旅の目的はもう一つ、我が父母の郷里を久々に訪ねる旅でもあった。父は但馬の中心地、豊岡市。母はその豊岡市から但馬を代表する河川・円山川を30分ほどさかのぼった八鹿(ようか/今は養父(やぶ)市)と言う街の出身で、共に山陰・但馬地域の出身だけに、折角の機会なので丹波訪問の前に久々に立ち寄ることとし、泊りはこの地域を代表する城崎温泉、あの志賀直哉の「城崎にて」で知られる温泉街とした。小西、小出(母の実家)共に昔は子沢山で、小西が8人、母の小出の方は何と13人。うちの上の姉貴のが母方の一番下の叔母さんよりも年上と言った奇妙なねじれ現象も起きているが、まあ子供が多い。しかしその実家を継ぐ人はおらず、残念なことに荒れ放題。特に小出家は代々医者の家系で、祖父は但馬地域で最初の総合病院(小出医院)を明治半ばに開設、建物は県の文化財指定を受けるほどのもので、10数年前に訪れた時は県指定文化財などと言う看板も仰々しく立っていたが、今はそれも隅に押しやられ建物はガラスも割れいささか悲惨な有様。従弟は八鹿の公立病院のお偉いさんのはずだが殆ど実家には戻っていないようで、家もかなりな広さだけに管理も出来かねる様子...。広い敷地(中庭にあった松の大木は国の天然記念物だった)・建物、これを維持管理するのは家計的にも大変なことと同情はするが、反面寂しくあったのもまた事実。

 
まあこんな寂しい思いを吹っ切ろうと、丹波の小京都として今一寸したブームにもなっているらしい城下町、出石町を訪ねることにした。円山川の支流、出石川が街の真ん中を流れるこの城下町は、八鹿から峠を越えた先にあり車で20分ほど。丹波篠山市と同じくここにも出石焼と言う古い焼き物があり、また「皿そば」と言う独自のそば(これが美味)でも知られ、江戸時代からの芝居小屋も再現されるなど見どころも一杯、城跡も作り直されており平日にも関わらず観光客も多かったが、この城下町の最大ポイント~時計塔が修理中で全貌を拝めなかったのは残念だった。そして城崎温泉。立ち寄り湯だけで7つもあると言うこの古湯、各旅館では派手な色合いの貸浴衣を用意、これを着て温泉街を練り歩くのが若い連中に受けているようで、学生や若い会社員など数多くの若者グループが街を歩いており、その賑やかさにいささか圧倒された。これならば当分城崎温泉は大丈夫そうでホッともしたものだった。

 
丹波を出てからは加古川市に住む大学時代の友人(早大ワンゲル部)を訪ね一泊、隣町の姫路市のお城、改装なった白鷺城や、古寺である書写山円教寺(これが聞きしに勝る、比叡山延暦寺にも匹敵す素晴らしい山寺だった)などを慌ただしく見学後、一路東京に帰ることにした。疲れてはいたがその足でスタジオに向かいジャズ番組の収録(名花ギラ・ジルカがゲスト登場)をこなし、深夜に帰宅した。まあ愉しくも厳しいオールドボーイ奮闘のおよそ10日間でした。
【今週の番組ゲスト:NY在住のピアニスト 大林武司さん】
アルバム『Manhattan』から
M1
Cill My Landlord
M2
Heart
M3
Steal Heel
M4
In Walked Bim

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7月8日の「テイスト・オブ・ジャズ」 [「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報]
2017.07/07 番組スタッフ 記事URL
テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、各曜日で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.365~軽井沢ジャズ17】

 7月に入り最初の日曜日、この国の将来を左右するような大事な選挙、都議会議員選挙と言う地方選挙ではあるが憲法改正などと言う国政の最大問題にも通じかねない大事な選挙が行われ、大方の予想通りにあの驕れる安倍ちゃん率いる自民党は大敗した。いつもならば選挙と言えば全面にしゃしゃり出る安倍ちゃんも、今回は取り巻き達の忠告もありひたすら謹慎、選挙戦の最後の日にようやく街頭に出たのだが、その街頭演説にはあの籠池氏も参上、現場は混乱の極みだったとも聞く。そして結果はかつてない大惨敗。数を頼みに全てを強引に押し通し続けて来た自身の驕り、そしてお仲間・お友達・安倍チルドレン等々だけを重用、彼らの数々の暴言・失言がボディブローのように効き、予想通りいやそれ以上の彼にしたら散々な結果になってしまった。自業自得の極みとも言える結果だが、一つ見逃せないのはあの稲田女史の自衛隊応援発言。一見失言のようにも見えるが、これはあの豊田女史の暴言など一連の不祥事とは全く位相の異なる重大発言。軍隊と言う組織が個人の権力維持の道具に使われたら...と言う、重大危機すら認識していない防衛のトップ(よく弁護士をしていたものである)、そしてそれを罷免すれば自身もアウトと頬かむりし続ける安倍ちゃん...。まあ自身の爺さん超えで名声を残したい為だけに()、国の根幹の憲法もやみくもに改正しよう(その改正意図や箇所などもしばしば変わる)などと考え・公言する彼だけに、女史の発言も特に問題ありとは考えてはいないのだろうが...。

 
さて政治の問題はさておき、音楽関連では7月からのサマーシーズンは音楽フェスで盛り上がる書き入れ時。ジャズ全盛の70~80年代には、首都圏周辺でも大規模なジャズフェスが数多く開かれたものだが、今は見る影もない有様。一方当時は数少なかったロックフェスも、今は全盛で有名海外ミュージシャンも数多く登場、観客動員も凄まじい数で、完全に夏の風物詩として定着した感あり。更には上原ひろみなどのジャズ界の若手有望株も、こうしたロックフェスに次々参戦と言う、皮肉な現象すら起きている。この逆転現象は時の流れではあるのだが、もう一つジャズフェスの主催者は企画スタート時点でフェスの損益分岐点を超える~即ちスポンサーを見つけ黒字化することだけに腐心、観客のことなどは二の次だった様にも思えた。これに対しロックフェスの方は皮きりの「フジロック」を始め多くが、スタート時点ではスタッフは全くの手弁当、観客動員にその全てを賭けていた感も強い。根本時点でのこうした音楽に向き合う心根の有り様の差、これも今大きく差がついてしまった要因では...とぼくは思っている。

 
まあこんなことを嘆き悲しんでいてもしょうがない。現在あるジャズフェスをより良いものに...と言うことで、ぼくもそのスタート時からいくらかお手伝いさせてもらっている「軽井沢ジャズフェス」。6回目を数える今年もまた7月29日()に、軽井沢の地で開催される運びとなり、我がジャズ番組でもまたこのフェス紹介をすることにした。元々古くからのジャズ仲間で慶友のジャズプロデューサー故伊藤八十八氏(早大時代は彼が1年下で、ニューオリーンズ・ジャズ・クラブ所属)が、長年の夢だった避暑地でのジャズフェス~あの伝説のジャズ映画「真夏の夜のジャズ」の舞台、アメリカでも屈指の避暑地、ニューポートでのジャズフェスを日本でも実現したい...と企画・実施した「軽井沢ジャズフェス」。この地の端っこに山荘を構えているぼくも彼の考えを聞き、出来ることは...と協力してきたのだが、彼も重い病に倒れ亡くなってしまい,フェスをどうするかと思っていた矢先、未亡人の妙子さんが彼の遺志を継いで続行を決意、昨年から再スタートしたと言う曰く付きのジャズフェス。昨年からはこれも日本のお笑い界のボスにして長年の友人の一人、北軽井沢に数年前に移住したプロデューサー・演出家・エッセイスト等々、多彩な顔を持つ才人・高平哲郎氏(フジTVのお笑い路線は彼が作り上げたもの)が構成・演出を手掛けており、それまでは2日間だったフェス日程も1日に短縮、ぐっと中身の濃いものに仕上げ直した。その2年目であり出演者も仲々に興味深い。司会・進行はこれもまた古くからの知り合い、山下洋輔トリオのオリジナルメンバーで音大のジャズ科教授も務めていた「せいいっちゃん」こと中村誠一(ts)氏で、開催場所は例年通り軽井沢が世界に誇る音楽ホール「大賀ホール」。元ソニー会長の大賀氏が自費を投じて作ったホールで、完成後は街に寄付した。

 
昨年はジャズフェスについて、高平氏とプロデューサーに就任したばかりの伊藤妙子さんに、スタジオに来てもらいいろいろ話を聞いたが、今年は高平・誠一コンビに登場してもらうのが一番と言うことで話をしたのだが、多忙な二人だけにスケジュールが合わずお流れ(高平氏はインタビュー出演)。変わって妙子さんとこのフェスを毎回聴いていると言う、新宿ジャズ界のボスと言うより新宿文化の象徴とも言える新宿DUGのマスターにしてジャズ写真家の中平穂積氏(伊藤氏の師匠格)の2人に、この避暑地でのジャズフェスの魅力について語りあってもらうことにした。
 
今年の登場ミュージシャンはアメリカで大活躍の若手アルト奏者、寺久保エレナを始め、エレナと並ぶ若手のホープであるピアノの桑原あい、伊藤氏が見いだし今やベテランシンガーとも言えるマリーン、邦楽とジャズを融合させた独自の音楽を展開する仙波清彦師匠、それと誠一ちゃん、更には地元でよく知られたセミプロ・ジャズフルバンドの「オブサウンズ」等など。かつてタモリと新宿の酒場で毎晩即興でやりあっていた、誠一氏の軽妙な司会トークも聞きもので期待するところ大ですね。
【今週の番組ゲスト:軽井沢ジャスフェスティバル プロデューサーの伊藤妙子さんと写真家で新宿「DUG」のオーナー中平穂積さん】 
M1
The Back / 桑原あい」
M2
Grand Prix / THE SQUARE
M3
Isn't she lovely / Marlene
M4
「ブルキナ / 寺久保エレナ」