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テイスト・オブ・ジャズ

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「テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日18:00-18:30(本放送)ほか、再放送毎週土曜日23:00-、毎週日曜21:30-、などでオンエアー中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.81~1月12日~】

 先日国立のあるジャズ・バーから1通のメールが届いた。“1月12日が近付いてきました。当日は追悼イベントを行いたいと思います…”。このメールを見るまで、彼の命日を忘れていたことに気付かされた。そしてもう一人、彼とも親しく、我が“テイスト・オブ・ジャズ“にも関係の深いミュージシャンも、この日が命日だったことを思い出した。

 彼とは既に一度このコラムでも取り上げた天才ピアニスト、本田竹広(七回忌)。そして彼と親しいもう一人の故人とは、ドラマーの良ちゃんこと古沢良治郎(一周忌)。この2人は生年がほぼ一緒で、ぼくと同年輩。出身地も同じ東北の宮古と仙台。本田については東日本大震災の後、壊滅した宮古市のことなどと一緒にコラムで書いたはずだが、2人は国立音大の先輩・後輩で、良ちゃんのプロ・デビューは本田竹広トリオと何かと縁が深く、常に友でありライバルでもあった。
 
 我が”ジャズ“番組について言えば、本田は全盛期にはよくスタジオに顔を出し、出演の最後はスタジオのピアノでソロ・ピアノを披露して終わることになっていた。それだけに10数曲彼の貴重なソロがあるがレコード化は難しい。良ちゃんの方は出演は3回ほどだが、常に飄々と愉しげに語ってくれた。
 本田との付き合いは大学4年からだから、もう数10年、但し93年以降次々と病に襲われて以降は、”小西よー、話は巧く出来ない(脳梗塞の関係)から出演は勘弁してくれ“と釘をさされ、あまり付き合いが無くなってしまったのは本当に残念なことだった。
 
 2人の命日の12日には、新宿”ピット・イン”で本田追悼コンサート、そして西荻窪の“アケタの店”では古沢追悼ライブが行われ多くのミュージシャンか参加したと聞く。ぼくはお呼びの掛かった国立のジャズ・バー“ノー・トランクス”でのレコード・コンサートで2人を偲んだ。進行役は2人と親しかったマスターの村上氏。“中央線ジャズの命名者にして中央線ジャズのボス格“だ。本田の代表作『ディス・イズ・本田』を聴いていたら、夜の10時過ぎに彼からTELがあり、今赤坂に子供(今や日本を代表するドラマーの本田珠也)といるんだが、スタジオのピアノを弾かせろといわれ、実際11時過ぎから1時間余り黙々とピアノを弾き捲くっていたことを思い出す。珠也は当時確か5才くらい。無頼派ながら真のジャズメンだった。今はこんな好漢もういない。寂しくも哀しい!


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