お知らせ:

テイスト・オブ・ジャズ

番組へのお便りはこちら

「テイスト・オブ・ジャズ」は毎週土曜日19:30-20:00(再放送毎週日曜日20:00-20:30)好評放送中です。番組進行は山本郁アナウンサー。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol⑲~タモリ・デビュー~】

 以前に高平哲郎氏関係の内容になったので、どうせならばその続きで…。高平氏は70年代後半から80年代にかけての、お笑い文化新潮流を裏からリードした仕掛け人で、先日のパーティーでもその一端(TVでの仕事)が映し出されていたが、その活動主体は(78年に結成されたはずの)“面白グループ”。中心は不二夫ちゃん(漫画家、赤塚不二夫先生)で、メンバーには山下洋輔、高信太郎など、才気豊かな多士済々の面々が集まっており、ぼくもこのグループ活動を利用して、数多くの“おバカで知的な”特別番組を作らせてもらった。 

 そしてこのグループが生んだ最大のスターが、我が後輩の森田一義君ことタモリだった。博多のホテルで山下洋輔トリオの打ち上げに紛れ込み、それが評判を集め不二夫ちゃんが東京に呼んだという流れ。お笑い界の出世話は多くの人に知られているが、上京して彼が最初にカミさんと少しばかり住んでいたのが、ぼくの育った街、高円寺だった。

 ある時商店街を歩いていると、暗い顔をした未来の無い様に見える、フリーターと思しき初中年(30才ぐらいのはず…)とすれ違った。どこかで見たなーと思ったら、都落ちして故郷福岡に戻ったはずの森田君ではないか。“どうしたの…”と声をかけると、“ちょっと事情があって今また東京にいるんです”との返事。もともと芸達者、“なにかあったら局に遊びに来いよ…”等と先輩風を吹かして別れた。

 その後短波放送受信を模写する奇妙な半素人がいると、新宿の飲み屋辺りで評判が立ったが、それが森田君であった。それから数ヵ月後、局の先輩からピアノの大家、中村紘子さんにインタビューする企画があるけど、誰かよい人知らないかと声を掛けられ、そう言えば森田は子供の頃から、長い間ピアノを習っていたはずだし、場持ちもいいからやらせてみるかと、少し評判になっていた彼に声を掛けると、二つ返事でOK。その先輩と共に中村氏のインタビューに向かうことになった。これがなんと、世に殆ど知られていない彼のラジオ・デビューで、“日本短波放送”でデビューを果たしたのである。しかしその結果は実に無残。あまりの雲上人である中村紘子を前にして、殆どインタビューが出来ず。局に戻ってからぼくに、“申し訳ありませんでした”と謝り、しょげ返る始末。その先輩ディレクターからは、“困るよあんなのを紹介してもらっては…”とぼくもお叱りを受けてしまった。

 しかしそこは稀代の天才にして鬼才のタモリ。この2ヶ月ほど後、ぼくの大学時代の同期、岡崎正道くん(ジャズ評論家でもある)がチーフ・ディレクターを務めていた人気番組“オールナイト・ニッポン”にゲスト出演。そこで4ヶ国語マージャンなどの得意芸を披露、電話が鳴り止まない大反響を呼び、直ぐにレギュラーの座が決定し、スター街道をまっしぐらとなったのである。この中村紘子事件(?)のせいか、彼は律儀にも“BCL(世界中の短波放送を聴くマニア、主に子供達)番組”のパーソナリティーを、6年ほど我が局で務めてくれ、何回かの特番も担当してくれた。実に義理堅い男なのである。


お知らせ

お知らせ一覧