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テイスト・オブ・ジャズ

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「テイスト・オブ・ジャズ」は毎週日曜18:30-19:00(本放送)ほか、木曜22:30~23:00で再放送中。番組進行は山本郁アナウンサー。 番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.513~戦前にもジャズはあった】

  55年以上と言う長い歴史を誇り、恐らく世界中のジャズ番組の中でも最長寿とも言えるこの「テイスト・オブ・ジャズ」。ぼくが関わってからもなんやかんやで既に45年以上、亡くなった局の先輩でジャズアルバムのプロデュース数、日本でも屈指の数を誇る木全信氏(局を辞めRCAレコードプロデューサーに転身)の担当が、番組スタートから8年ほど...。まあ本当によく続いているものだが、そんな長い歴史の中でも、今まで殆ど取り上げなかったテーマが一つある。それが「戦前のジャズ」と言うか日本のジャズの原点~「和ジャズ」揺籃期のアルバム紹介である。
 
 どうもジャズと言うと、ぼくなどは直ぐにモダンジャズ=ジャズと言うことになってしまい、デキシージャズやスイングジャズと言った、かつての黄金期のスタイルを無視しがちだが、こうしたジャズスタイルを今でも守っている方達もおられる。その代表格がディキシーの山喜雄さん、そしてスイングクラリネットの北村英治さんと言った大御所達。このお二方やそのほかのプレーヤーの方も時々スタジオにゲスト登場、それぞれスイングやディキシーの演奏などを紹介してくれる訳だが、その原点ともなる戦前のジャズ、これについて触れることは殆どない。と言うよりもジャズ関係者でも、その辺を語れる~興味を持つ人も殆どいない、大先輩の故油井正一、故野口久光と言った方達を除き、誰もいないのが実情なのである。
 
 ぼくも当然その一人だが、ある時偶然に戦前人気を博したジャズ歌手、川田文子の伝記を読むことがあり、それ以来戦前のジャズ=日本ジャズ揺籃期に興味を持つようになった。川田文子はアメリカ移住民の子供でカリフォルニア育ち。ブロードウエイのステージにも立ち将来を嘱望されたシンガーだったが、母親と共に日本に観光旅行に来て、横浜の波止場でレコード会社のお偉方の出迎えを受け、そのままレコードスタジオに拉致(?)されてしまったと言う経歴の持ち主。この川畑文子など戦前のジャズを知るとかなり面白い。
 このコラムでも時々紹介しているが、6年程前から始まった中野区の地域センター(公民館)でのジャズ講座。その第1回目にこのテーマ「戦前にもジャズはあった」を取り上げ、40名ほどのおばちゃん中心の聴講者達にもかなりな好評を博し、この成功(?)でジャズ講座、今もまだ続いている訳なのだが...。

 ところが最近あるジャズ雑誌が、このジャズ揺籃期を2号続けて特集、その一回では「宮沢賢治は日本最初のジャズ文学者...」と言った特集を組み、ちょっとした話題にもなった。宮沢賢治とジャズの関連性については、もう30年ほど前から赤塚不二夫の面白グループの一員だった評論家の奥成達氏が良く語っており、確かその関連本も出ている筈。
 今はコロナ禍でゲストも登場しにくい状態もあるので、山本アナの語りと言う形で「戦前にもジャズはあった」と言うテーマで、この川畑文子や日本最初のジャズ歌手、二村貞一など、ジャズ唄~戦前のポピュラーソングを特集してみることにした。ぼく自身は日本が誇るオリジナリティーを備えた最初のジャズ歌手(?)は、日本の喜劇王エノケンこと榎本健一だと信じているが、そのエノケンの「青空」など数曲も番組では紹介する。特に有名なミュージカルナンバー「雨で歌えば」は、肝心のNYの街中での雨降りから、江戸時代の旅籠屋での雨に変貌する、この辺りまったく見事としか言いよう無し。
 そして日本最初の本格的ジャズシンガー、あの「ブギの女王」の異名で戦後直ぐの日本で、圧倒的な人気を誇った笠置シズ子。彼女が太平洋戦争突入直前、いわゆる敵性音楽=ジャズの強い規制がかかる時代に吹き込んだ、歴史的名唱「ラッパと娘」なども紹介する予定。そしてトリに登場するのは、笠置のコピー歌手としてデビューを果たし、以降日本の歌謡界を背負うことになる「女王」美空ひばり。戦前と戦後を結ぶこの女王の定評あるジャズボーカルナンバーは、確かに上手いし愉しく聴かせるこの企画は今週か来週の放送予定ですので、乞うご期待。

【今回はノーゲスト回】
「元気が出るラテンジャズ特集」
M1
Babarabatiri  / Tito Puente
M2Se akabo rabia  / Azucar Negra
M3La Nueva Cubana / Gonzalo Rubalcaba
M4El comeron / あびる竜太Latin jazzグループ」
M5West / 川嶋哲郎」

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