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テイスト・オブ・ジャズ

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テイスト・オブ・ジャズ」は、毎週木曜22:30~23:00(本放送)と金曜18:30~19:00(再放送)で放送中。番組収録のウラ話はこちらのブログでも紹介されています。

【小西啓一の今日もジャズ日和Vol.537~近藤等則

  毎日読んでいる新聞、それは今何かとネットウヨなどの標的にされがちな朝日新聞なのだが、そこで衝撃的なニュースが...。ワシントン支局のK氏発信の情報だが、あのキース・ジャレットが左手に麻痺が残り、復帰は困難だと言う。18年に2度ほど脳卒中を患い、麻痺が残り[以前のようには弾けないし、回復の見込みもない...」と弱気に語っているのだと言う。病気の話は知られていたが、ここまで酷いとは...。現代屈指のジャズピアニストだけに、なんとも悲しくも寂しいニュースである。

 ところで朝日新聞の死亡欄に、もう一つ寂しい通知が載っていた。ここに名前が載ると言うのは、こと文化・芸術に関わる日本人として本当に大したもの(栄誉)なのだが、近藤等則の名前があった。そうか彼も遂に逝ってしまったか...と何とも言えない感慨があったが、ぼくより2~3才位下の筈なので、まあそれも致し方ない...と言った感じだった。それよりも良く彼の名前がこの死亡欄に...という感慨の方が大きかった。

 近藤等則、パンク&フリージャズとも呼べそうな独特な世界を構築した、異端のトランぺッターにして流浪のアルチザン(芸術家)。そんな彼の名前を知る音楽(ジャズ)ファンは、今では少ないと思うし、この20年ほど彼が何をしていたのか、ぼくは寡聞にして知らない。彼は京都大学卒業という異色のジャズメン(あとはベースの納浩一位なもので、殆どいない筈だが...)で、あの伝説の西部講堂などでも沢山の活動家の中で、激烈とも言えるトランペットの咆哮を響かせ、意欲的な京大生や当時の活動家学生を鼓舞したりと、本当に威勢のいい漢だった。

 我がジャズ番組に登場したのはもう40年ほど前のことで、ただ1度の登場だった。その激烈な活動がNYでも評判になり、一時期、時の人としてかなりな注目を集めた。現地に滞在していた彼はその後帰国、その直後に結成した自身のバンド「IMA」、そのデビューアルバムを引っ提げての登場だったと思う。余りジャズに詳しくないおとなしい女性アナが当時は番組担当だっただけに、彼はいたって不機嫌で、帰り際には「どうしてあんな女が...相手なんだ...」と怒りの一言も放って帰ったが、その言動はジャズメンと言うよりもパンクロッカーそのもので、ある意味傲岸不遜。確か当時流行のはしりの「コムデ・ギャルソン」に身を包んだ彼は、日本版マイルス・デイビスと言った趣もありなんとも格好良く、この自信と意気込みならば、本場NYでも十二分に評判を集めるだろうと思わせるものが確かにあった。

 そんな彼もその後は日本を離れ、パンクジャズからも距離を置き、世界各地の砂漠や廃墟などで演奏を重ね、確か「地球を吹く」と言った名目で演奏活動を続け、アルバムも出している筈。以降世紀が変わってからはその活動も殆ど伝えられることも無く、ぼくなどはどこかで亡くなっているのでは...等と思っていたのが、突然の朝日新聞死亡欄への登場。日本と言った狭い島国には愛想をつかし、本場NYで大活躍し、その後は一転自然の中での演奏活動展開と...、恐らく稀有なスケールを有したこの鬼才が、たった一度でも我がジャズ番組に登場してくれたことは、今になってみると本当に貴重なことだったと思う。

 好漢の死を悼み 黙祷!

【今週の番組ゲスト:ピアニストで「OWL WING RECORD」代表の荒武裕一朗さん】
TIME FOR A CHANGE』『本田竹曠 Trio LIVE 1974』から

M1Blue Rondo A La Turk
M2Ballad Medley When sunny gets blue /I can't get started/Ain't tell you a good way but/Georgia on my mind
M3Water Under The Bridge
M4Time After Time

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