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9月17日発行『THE NIKKEI WEEKLY』(P.28)、
女川原子力発電所に関する書き下ろし記事です
Why Onagawa dodged Daiichi's fate

― キーワード、時事関連英語 ――

dodge     避ける、よける
meltdown-stricken     炉心溶融で制御不能になった
nuclear power plant     原子力発電所、原発
sear ... into the memories     ~を記憶に焼き付ける
epicenter    震央(しんおう)、震源地
(the) Great East Japan Earthquake    東日本大震災
power down    出力を下げる、停止する
jolt    揺れ、振動
maximum acceleration    最大加速度
withstand    耐える、持ちこたえる
International Atomic Energy Agency    IAEA、国際原子力機関
International Seismic Safety Center    ISSC、国際耐震安全センター
boiling water reactor    沸騰水型軽水炉
transmission line    送電線
cold shutdown    冷温停止
devastate    徹底的に破壊する
above sea level    海抜
be barely protected    なんとか保護される、かろうじて守られる
on the advice of~    ~の助言で、~の進言に基づいて
prevailing assumption    一般的な想定
comb through ~    ~を徹底的に調べる、~を綿密に調べる
date back ~ years     ~年前までさかのぼる
take countermeasures     対策を講じる
foundation     根拠
brush the risk aside     リスクを軽く扱う
beyond expectations     想定外
house     収容する、避難所を提供する


You the Listener にゲスト登場。THE NIKKEI WEEKLYをテキストにした大学の英語授業についてご紹介くださいました。


<使える英語>

comb through ...   ~をくまなく調べる
Before the case goes to trial, it will take weeks, possibly months, for investigators to comb through all the evidence.
その事件が裁判にかかる前に、取り調べ官たちが全ての証拠を隅から隅まで目を通すには数週間、ひよっとしたら数か月かかるでしょう。

date back   さかのぼる
The popularity of today's portable music players dates back over 30 years to the Sony Walkman in 1979.
今日の携帯用音楽プレーヤーの人気は1979年のソニーのウォークマンまで30年超さかのぼります。

make it happen   実現させる、成し遂げる
Though I established this company 20 years ago, I have been completely unable to achieve our current level of success on my own. It's all of you -- my loyal and hardworking staff -- who have made it happen.
この会社を20年前に設立しましたが、私はひとりでは我社の現在の成功水準を達成することは全くできませんでした。それをなしとげたのはあなたがた全員です ―― 私の忠実で勤勉な従業員たちであります。

brush ... aside    軽くあしらう、~を無視する
As top management at the plant have repeatedly brushed aside requests by plant employees for higher safety standards, a strike is now planned.
その工場の最高経営幹部がより高い安全性基準を求める工場の従業員たちによる要請を繰り返し軽くあしらったので、いまストライキが計画されています。

☆今週は、THE NIKKEI WEEKLY の書き下ろし記事です。
【注目記事の要旨】を掲載いたします。

女川が福島第一の運命を回避できた理由
Q  昨年の大地震と大津波は宮城県にある女川原子力発電所にどんな影響を与えましたか?
A  原子炉は冷温停止し事故は起きませんでした。なぜ福島第一と違って女川は無事だったのかについては、今後の原発建設のあり方に大きな教訓を示しています。
 

炉心溶融(ようゆう)で制御不能になった福島第一原子力発電所は世界の人々の記憶に焼きついています。しかし東北地方のもう一つの原子力発電所 ―― 「女川原子力発電所」 ―― についてほとんどだれもが聞いていません。

この東北電力の施設は福島第一より昨年の東日本大地震の震央(しんおう)に近かったのです。しかしそれでもその大規模な激しい振動の直後にその原子炉を安全に停止させました。それだけでなく、その後3か月間近隣の被災者の避難所として役立てられました。

大地震の震央は福島第一から約180キロ離れていたのに対して、女川からは約130キロでした。両発電所は高さ約13メートルの津波に襲われました。そして地震によって受けた最大加速度は、女川が567.5ガルと福島の550ガルを上回っていました。つまり福島以上の危険にさらされた状態にあったわけです。

どのように女川が諸条件によく持ちこたえたのか広く報告されていません。しかし国際原子力機関(IAEA)は気付いたのです。


意外にも被害受けず

「あれほどの地震(地震のマグニチュードと継続時間、そして規模)にもかかわらず構造物への影響が少ないのに驚いた(the structural elements of the NPS were remarkably undamaged given the magnitude of ground motion experienced and the duration and size of this great earthquake)」。国際原子力機関(IAEA)のスジット・サマダー耐震安全センター長(Sujit Samaddar, the head of IAEA's International Seismic Safety Centre)は8月10日、東京都内での記者会見で、女川原発について、こう述べました。
 
IAEAは19人の専門家からなる調査団を7月下旬から約2週間、女川原発に派遣しました。昨年の大地震で生じた損傷を調べ、世界の原発の耐震安全に役立てることが目的です。

女川には東京電力の福島第一原発とほぼ同型の3基の沸騰水型軽水炉があります。福島を超える激しい揺れによって発電所に電気を送る5回線の送電線のうち4本を不能にしましたが、残った1回線で所内の電力やシステムを維持するのに十分でした。原子炉の自動停止後約10時間で3つとも冷温停止させるのに成功しています。

津波についてはどうだったのでしょうか、それは福島第一を破壊したのですが?

女川原発の敷地は海抜14・8メートルと高い位置にありました。地震で地盤が約1メートル沈み込んだものの、高さ13メートルの津波をかろうじて防げたのです。

女川原発が福島第一に比べ高い場所に建設されたのは、東北電力元副社長の故・平井弥之助(ひらい・やのすけ)氏の進言と言われています。

津波の高さが約3メートル(後に9・1メートルに改定)と想定されていた時期に、平井氏は1000年以上も前の地震の記録を徹底的に調べました。彼の調査の結果として、より高い場所に建てるよう主張し、他の経営陣のチームの懐疑的な委員らを説得してそれを実現したのです。

これに対して福島第一はどうだったのでしょう。政府の福島第一原発事故調査・検証委員会の報告書では津波への備えに対応の甘さがあると指摘しました。特に、東京電力は2008年に最大15・7メートルの津波が来る可能性を予測していましたが、根拠が不十分として対策をとりませんでした。

その委員会の報告書は、東電が「想定外」として軽視せず、今回の巨大津波のようなごくまれにしか起きない自然災害にさえも準備しておくべきであったと示唆しました。


安全な避難所

東北電力と東京電力では津波に対する意識がまったく違っていたことが、この未曽有の事故が起きたか起きなかったかの大きな要因である可能性が高いと言わざるを得ません。

3月11日の震災発生後、明かりがともった女川発電所は周辺住民の避難所となり、その日の夜から発電所は津波で家を失った人たちの受け入れを始め、最も多い時には364人の人々が所内に難を逃れたのです。

「原発は地震と津波に強い」という電力会社が繰り返していた言葉は、少なくとも女川原発については正しかったのです。

キーワード1
女川原子力発電所
宮城県の県庁所在地である仙台市から約70キロ北に位置する東北電力の原子力発電所。1-3号機の3つの原子炉があり、総発電力は217万キロワット。1号機は東北電力最初の原発として1984年に稼働、その後、2号機、3号機はそれぞれ1995年、2002年に稼働した。昨年の東日本大震災後に停止、現在も停止したままとなっている。
原発は地震と津波による破壊を免れたが、立地している女川町と石巻市における死者・行方不明者は4800人以上と大きな被害をもたらした。

キーワード2
平井弥之助(ひらい・やのすけ)
1902年-1986年。1960年から1963年に東北電力の副社長を務める。発電所建設で常に自然災害への対策の重要性を指摘し続けたことで知られる。女川原発だけでなく、新潟火力発電所(新潟市)の建設では、軟弱地盤に当時としては最大級のケーソン(箱形構造物)を埋め、その上に建物を置いた。同火力はマグニチュード7・5の新潟地震(1964年)を持ちこたえた。
女川原発の設計時点で平井氏はすでに、東北電力を退職し、電力中央研究所(The Central Research Institute of Electric Power Industry)の技術研究所長(head of the technology research laboratory) だったが、社外の有識者として古巣にもの申し、大津波への対策を実現させた。


※詳細や正式名称などは、日本経済新聞社の関連報道でご確認ください。

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