桂小五郎 その二
2017/12/09(土) 08:15 番組スタッフ

 桂小五郎が京都に来た頃、攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力へと結集していきます。今回の講談で登場する舞台の一つ・翠紅館は幕末の頃、西本願寺の別邸で、たびたび志士たちの会合の場となっていました。

 文久3年・1863年1月27日、ここに土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多・久坂玄瑞など多数が、次いで6月17日にも小五郎はもちろん、久留米藩の真木和泉などが集まりました。これら各藩の志士を代表した者たちが会議をし、攘夷の具体的な方法が検討されました。世にこれを翠紅館会議と言います。8月13日には、孝明天皇の大和行幸の詔書が出されて攘夷運動は頂点に達します...。

 翠紅館はもともと正法寺の子院(付属の寺院)でしたが,眺望に優れていたので,庶民の遊興や文人の詩歌・書画会などの貸席として使われていました。鎌倉時代には公家の鷲尾家が買い取り、西本願寺の東山別院に寄進されました。荒廃していた庭園を整備,書院を新築し、その景観の素晴らしさから、「翠」と「紅」の素晴らしい館という意味で翠紅館と名付けられました。

 西本願寺がこの地を手放してからは、2人の経済人の所有を経て、現在は料亭に姿を変えています。残念ながらこの料亭は今年2017年1月から2年間、改修工事のため休業となっています。工事期間中は史跡を見ることはできませんが、ここでは改修前の様子をご紹介します。

 入り口の立派な門構えには寺の山門の名残があり、その横に「翠紅館跡」と書かれた石碑と説明板が置かれています。店を代表する部屋は、その名も「翠紅館広間」(写真)。まさに小五郎たちが会議を行っていた場所です。


     
 
   

 この部屋はもともと西本願寺門主の居間として使われていました。京都の町を一望でき、八坂の五重塔を見るのにちょうど良い角度に窓が開かれていて、素晴らしい景色を楽しめます。部屋の上に飾られている「翠紅館」の扁額は、三条実美の筆によるものです。

 山門に程近い「送陽亭」も会議の場所として提供されました。ここには小五郎はもちろん、長州藩や土佐藩の主だった会議参加者の写真が飾られています。映画の撮影などにも使われるほど、夕刻の風情が素晴らしい場所です。現在は、保護建造物に指定されています。

 ここからは、今回の講談の途中から登場する女性・幾松についてもご紹介します。若狭小浜(現在の福井県)で、小浜藩士の木崎市兵衛と、医師の細川益庵の娘との間に生まれました。しかし幼少の頃、藩内の事件から父・市兵衛が妻子を残して出奔。8歳の時に京都に出た後、三本木(現在の京都市上京区三本木通)の芸妓になりました。

 小五郎が京都に来て、喧々諤々の議論を行っている頃に出会い、恋に落ちたと言われています。その後、小五郎を大事な局面で支えていくわけですが、この様子は次回の講談でご紹介します。明治維新後、小五郎は木戸孝允と名を改めますが、幾松も長州藩士・岡部富太郎の養女となり木戸松子と改名、正式に木戸孝允の妻となりました。

 今回ご紹介した翠紅館跡となっている料亭・京大和は、JR京都駅からバスで15分、「東山安井」で下車、そこから徒歩約5分です。阪急電車の四条河原町駅からもバスが出ています。

 次回は、小五郎が命を狙われる危機に瀕しますが、幾松がひと芝居打ちます。どうぞお楽しみに!

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