秀吉・紀州攻め その三
2017/11/18(土) 08:15 番組スタッフ

 
 羽柴秀吉がさらに南下を進め向かったのが、現在の和歌山県岩出市根来にある根来寺です。その歴史を紐解き、今も境内にある紀州攻めの痕跡をご紹介しましょう。

 根来寺は長承元年・1132年、覚鑁が鳥羽上皇の庇護を受け、学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」などを高野山に建立したことが始まりとされています。その後、覚鑁を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。

 正応元年・1288年頃には、頼瑜が大伝法院の僧侶の学びの拠点を根来に設けました。頼瑜の教えは「新義教学」と呼ばれ大成し、15~16世紀になると全国から学問を志す僧侶が集まる大寺院として繁栄します。

 特に室町時代末期には一大宗教都市が形成され、僧兵1万余りに及ぶ軍事集団・根来衆を擁するまでに至ります。また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られました。当時の様子は、宣教師ルイス・フロイスの「日本史」にも紹介されています。

 こうした強大な寺社勢力を危惧した秀吉が天正13年・1585年3月に根来寺に入った際に、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山焼き払われてしまいました。しかし、今回の講談にもあったように寺衆の抵抗はほとんどなかったため、焼き討ちの必要性はあまりなかったとも考えられています。そのため炎上の原因は諸説あります。

 その後しばらく復興を許されませんでしたが、やがて紀州徳川家の外護を受けて、大門・伝法堂・不動堂など主要な伽藍が復興され、また、東山天皇から開祖である覚鑁に「興教大師」の大師号が与えられました。現在の境内は36万坪あり、桜、青葉、紅葉など四季折々の変化にも富んでいます。平成19年・2007年には国の史跡に指定されました。

 続いて、境内の主な場所をご紹介します。まずは、紀州攻めの弾痕が見られる「大塔」です。正式名称は「大毘廬遮那法界体性塔」で、天文16年・1547年に建立された日本最大の木造多宝塔です。真言密教の教義を形の上で表した建物と位置づけられています。高さ40m、横幅15mを誇る木造建築は明治32年・1899年に国宝に指定されました。中に入ってお参りができる日本で唯一の国宝指定の塔です。

 その横にあるのが「大伝法堂」です。(写真)


            


 建てられたのは文政9年・1826年、根来寺の本堂にあたります。和歌山県の文化財に指定されています。3mを超える巨像の大日如来を本尊として祀っています。真言宗の最も大切な修法を伝える道場で、僧侶が厳しい修行をする場所です。

 「大師堂」は、大塔とともに紀州攻めの際の大火から免れた建物です。明徳2年・1391年に建立され、真言宗を開いた弘法大師・空海の像を本尊として祀っています。根来寺の中でも最も古い建物で、重要文化財に指定されています。その他、開祖・覚鑁の墓所「奥の院」や、覚鑁ゆかりの寺院なども多数あり、見どころ満載です。

 根来寺は、JR和歌山線・岩出駅からバスで約22分です。大阪方面からはJR阪和線・和泉砂川駅または紀伊駅、南海電鉄・樽井駅からバスでアクセスできます。詳しくは、寺のホームページをご覧下さい。

 次回は、紀州攻めのお話も最終回。秀吉は太田城へと向かいます。どうぞお楽しみに!


 

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