後醍醐天皇 その三
2017/09/16(土) 08:15 番組スタッフ

 今回は、恋志谷神社の始まりにまつわるお話をお聴きいただきました。京都府にある唯一の村・相楽郡南山城村にある恋志谷神社は、縁結び、恋愛成就、子授け、安産、病気平癒、家内安全、無病息災のご利益があり、女性の守り神として知られています。

 創建当時の詳細は不明ですが、神社の名前の由来は鎌倉時代末期に遡ります。これまで2回にわたってご紹介してきましたが、元弘元年・1331年に倒幕の計画を知られてしまった後醍醐天皇は、京都の御所を脱出し、笠置山に籠って挙兵しました。

 当時、後醍醐天皇に思いを寄せていた妃は、伊勢の海辺で病気療養の最中にその事を聞きつけます。そして病気が治った後に笠置山へ向かう途中で、南大河原の古森という地に辿り着きました。しかし、後醍醐天皇はすでに幕府軍から逃れるため山を後にしていて、時すでに遅し。妃は悲しみと長旅の疲れから持病が再発してしまいます。

 妃は「恋い焦がれ、病に苦しむような辛いことは自分一人で十分。これからは人々の守り神になりたい」と言い遺し、自ら命を絶ったといいます。これを哀れんだ人々が祠を建て、祀ったのが恋志谷神社の始まりだと言い伝えられています。最期まで「天皇が恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、いつからか親しみを込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになったのです。

 もともとは古森に祀られていましたが、江戸時代末期の元治元年・1864年に現在の地に移され、天満宮社と並んで合祀されています。「恋志谷神社」と書かれた鳥居の横には、「恋志谷神社口碑伝説」と題された石碑があり、上記で述べた神社の由来が記されています。(写真)


    

  

 大祭が毎年春と秋の2回行われ、五穀豊穣に感謝し、地域住民の健康や安全なども祈願します。当日は、境内に「恋志谷姫大明神」と書かれた旗が掲げられ、野菜や米を持ち寄った地元の村民など多くの人で賑わいます。大祭に限らず、恋愛成就を願う人が遠方からやってきて、御守りを買い求めることもあるということです。

 神社へは、最寄りの大河原駅から国道163号線に沿って流れる木津川を渡ります。川には「恋路橋」という欄干のない低いコンクリート製の橋が架かっていて、それが参道になっています。長さ95m、幅は3.6m、花崗岩でできた橋です。

 以前は渡し舟が北と南の集落を結んでいましたが、1945年・昭和20年に橋が架けられました。川が増水した時には陥没することから、当初は「潜没橋」、また「沈み橋」、単に「石橋」とも呼ばれていました。1996年・平成8年に村のイメージアップを図るため、公募で現在の名になりました。

 恋志谷神社は、JR関西本線の大河原駅から徒歩約10分です。前回ご紹介した笠置駅からは一駅です。拝観は自由で、いつでも入ることができます。

 
 次回は、ついに迎える南北朝時代。それに至るまでの攻防をお聴きいただきます。どうぞお楽しみに!

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