大塩平八郎  その三
2017/08/19(土) 08:15 番組スタッフ

 今回は、講談の冒頭にも出てきた与力・同心という役職について、あらためて簡単にご説明します。江戸時代の警察機構のトップは町奉行で、市中の行政・司法・警察・消防などを司っていました。町奉行に就任した有名人としては、時代劇でもおなじみの大岡越前や遠山金四郎などがいます。

 大塩平八郎が属していた与力は、その直下の組織です。警察組織の中では中核の存在で、4~5人の同心を指揮し、捜査や治安活動、さらに庶務や裁判事務などを担当しました。つまり、町奉行から与力、同心、さらに岡っ引・・・というように組織が細分化されていきます。

 当時の大坂も江戸幕府の直轄地だったため、東西に奉行所が置かれ、平八郎が与力として働いていたことは前回ご紹介しました。現在も大阪には、その与力の歴史を今に伝える史跡があります。造幣局の敷地内にある与力役宅門です。(写真)


    

     

 この瓦葺きの武家屋敷風の建物は、東町奉行所の与力・中嶋家の門です。

 当時、この付近一帯には与力の役宅が軒を連ねていたということです。しかし、現在はこの建物が唯一現存するものとなりました。大正末期に現在の位置へ移築され、昭和23年・1948年に茶室として大幅に増改築されました。その後老朽化が著しくなり、平成12年・2000年にさらに改築となり現在に至っています。

 あくまで門構えだけですが、貴重な遺構には、所々に増築の跡があり、茶室として使われた内部も残っているということです。しかし、造幣局の官舎内にあるため、常に公開はしていません。見学の際には造幣局の許可が必要です。

 一方、大阪の北区には与力、同心の名を残す場所があります。造幣局から北西に10分ほど歩くと、与力町、同心1丁目、同心2丁目の3つの町に辿り着きます。マンションなどが立ち並ぶ閑静な住宅街で、残念ながら当時の与力、同心の歴史をとどめる石碑などはありません。東にある同心1丁目1から西の与力町2までの6区画は一直線に連なっていますが、1区画に少なくとも一つは寺があり、静かな中にも厳かさも感じさせます。町のほぼ中央に位置する運動場がこの周辺を代表する大きな施設と言えるかもしれません。

 後に平八郎は与力を退職し、私塾での講義に専念します。しかし、1833年に天保の大飢饉が起こり、平八郎の人生はここから激動の時を迎えます。大坂の民衆が飢餓に喘いでいることに心を痛めた平八郎は、上司の跡部良弼に対し、蔵米(幕府が年貢として収納し、保管する換金前の米)を民に与え、豪商に買い占めを止めさせることなどを進言します。

 しかし、その跡部が幕府への機嫌取りのために大坂から江戸へ強制的に米を輸送し、豪商と口裏合わせをしていた張本人であり、全く聞き入れようとしません。結局、平八郎は自分の蔵書を処分するなど私財を投げ打って救済活動を行いますが、それも限界に達する時が来ます。ついに考えたのが武装蜂起でした。

 今回ご紹介した与力役宅門がある造幣局は、JR東西線の大阪天満宮駅から徒歩約10分です。その他、様々なアクセス方法がありますので、造幣局のホームページを参考にして下さい。
 
 次回は、平八郎のシリーズも最終回です。どうぞお楽しみに!







   

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