大塩平八郎 その二
2017/08/12(土) 08:15 番組スタッフ

 今回、大塩平八郎が見事な謎解きを果たした舞台は大坂東町奉行所です。当時、大坂は幕府の直轄地で、老中が支配する大坂町奉行が警察・行政・司法を任されていました。大坂城下(大坂三郷)、摂津、河内の支配が目的だったといいます。東西2つの奉行所が置かれ、1ヶ月交代で執務にあたっていました。
 
 東西ともに、大阪城北西にある京橋口の門外に設置されていました。しかし、享保9年・1724年の大火事で両奉行所がともに焼失してしまい、場所を移転します。その後、東町奉行所は元の場所に戻り、西町奉行所は本町橋東詰の内本町橋詰町に移転されました。

 平八郎が勤めていた東町奉行所は当時、広大な敷地を持っており、門前は広場になっていました。表門を入って正面が玄関、右が当番所。敷地の北側が役所のエリアで、砂利が敷かれた江戸時代の法廷・白洲はその場所にあったということです。裁きを受けた罪人は、東横堀川を船で渡り、現在の難波・千日前辺りにあった刑場に運ばれ、刑が執行されました。

 その跡地は現在、大阪市中央区大手前の大阪合同庁舎1号館前にあります。「東町奉行所址」と書かれた石碑が建っています(写真)


               


 残念ながら、側に説明板などはなく、当然遺構もありません。当時の様子を知ることができるのは、この記念碑しかないのです。しかし、石碑がある通りからは、大阪城の乾櫓が見え、付近には大阪府庁、大阪警察本部などの官庁が立ち並んでいます。昔と変わらず町を機能させている様子を見ると、もはや説明いらずということなのでしょうか。

 一方で、西町奉行所の跡地は現在、大阪産業振興機構が運営する多目的ホール「マイドームおおさか」の前にあります。こちらは対照的に説明板も設置されており、大坂城の城壁があった頃の歴史から詳しく書かれています。ぜひ訪ねてみて下さい。

 平八郎の活躍の一つとして挙げられるのは、奉行所内にはびこる汚職の処理です。平八郎の相手として今回の講談にも登場した弓削新左衛門は、その西町奉行所の役人でした。新左衛門の汚職事件では内部告発を行い、その辣腕ぶりは市民の尊敬を集めたといいます。

 しかし、奉行所内は腐敗しきっていたので、平八郎の行動に反発する者も多くいました。その中での勇気ある行動は、頑固で実直な平八郎だから成せる業でした。一方で、上司である高井実徳からの信頼が厚く、その支持があったことも忘れることはできません。実際、平八郎は実徳が転勤になった際、与力を辞めています。それだけ平八郎も実徳のことを慕っていました。

 東町奉行所址は、大阪市営地下鉄・谷町線ならびに京阪電車の天満橋駅から、徒歩約5分です。

 次回は、日本を苦しめた天保の大飢饉。その時、平八郎は民衆を救うためにいよいよ立ち上がります。どうぞお楽しみに!



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