ファンファーレ今昔物語 [あの日、あの時、競馬場で]
2016/04/26(火) 12:00

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【3】


 1956年(昭和31年)10月27日にスタートしたラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)の『中央競馬実況中継』。始まった時の番組内容、放送スタイルは今のものとはかなり違っていたことは前回でお伝えしました。手探り状態で、当時の中継スタッフは自分たちで考えて中継の中身を生み出していきました。


 その中で、ファンファーレもラジオNIKKEIの『中央競馬実況中継』によって生み出されたもののひとつです。


 JRAの競馬場で流れるファンファーレは、ご存じのように競馬場やレースの条件によって異なります。その種類は、「札幌・函館競馬場」「福島・新潟競馬場」「東京・中山競馬場」「京都・阪神競馬場」「小倉・中京競馬場」用の5つがあり、それらの中でもレース条件(一般レース、特別レース、重賞レース)によって異なるものが使用されています。今やGIレースでは、ファンファーレが流れると競馬場内のファンが手拍子をして盛り上がる光景がお馴染みとなりました。


 しかし、ファンファーレは、昔はありませんでした。『中央競馬実況中継』が始まった当初、ファンファーレはなかったのです。当時の日本短波放送の編成局長だった人が発した一言から、競馬のファンファーレは誕生しました。


 それは「いざレース、というきっかけが判りにくい。なんとかならないかなぁ」で、これを聞いた当時の競馬中継のプロデューサーがファンファーレを思いつきました。そして、エドアルト・シュトラウスが作曲したポルカ「テープは切られた」をファンファーレ曲に決めて発走前に流すようにしたのです。ファンファーレを中継に使い始めたのは1959年(昭和34年)で、それから数か月後に競馬会も「これはいい」と場内に流すようになったのです。その後、この曲が全国の競馬場でも流れるようになったのですが、京都競馬場だけはビゼー作曲の「カルメン組曲」の中の「衛兵の交替」をファンファーレとして使いました。


 それから時は流れて1986年、中山競馬場のファンファーレを実験的に創作したところ、これが好評となり、他の競馬場も追随して1988年までに各地区のオリジナル・ファンファーレが出揃ったのでした。すぎやまこういちさんが作曲した今の『東京競馬場・中山競馬場のGIファンファーレ』が初めて流れたのは1986年12月21日の中山競馬場、ダイナガリバーが勝った第31回有馬記念でした。


 今週から6月の安田記念まで毎週GIファンファーレが流れます。今回は、現在のGIファンファーレが初めて日本ダービーの発走時に流れた28年前のレース実況をお送りします。1988年の第55回日本ダービーです。


1988年(昭和63年)5月29日 東京競馬場 晴・良
第10競走 第55回東京優駿(日本ダービー) GI 芝2400メートル 24頭
1番人気 サッカーボーイ   牡3 57 河内洋
2番人気 ヤエノムテキ    牡3 57 西浦勝一
3番人気 サクラチヨノオー  牡3 57 小島太
4番人気 コクサイトリプル  牡3 57 柴田政人
5番人気 マイネルグラウベン 牡3 57 蛯沢誠治


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
1着 サクラチヨノオー 牡3 57 小島太  2分26秒3
2着 メジロアルダン  牡3 57 岡部幸雄 クビ
3着 コクサイトリプル 牡3 57 柴田政人 1/2馬身


 ファンファーレが流れるといよいよ本番です。GIのファンファーレは、大相撲で例えるなら結びの一番で呼出が力士を呼び上げる声でしょう。また野球なら9回裏の二死満塁でバッターが打席に入った時に主審が言う「プレイボール!」でしょうか。まさに緊迫した瞬間です。その時、GIファンファーレが流れている時は各局の実況担当アナウンサーは何を思い、何をしているのでしょう?馬を見て馬名の最終チェックか、第一声をどうしゃべり出すのかを考えているのか、または気合を入れなおしているのか、とにかくもの凄く集中していることだけは確かです。


 春のGIレースはこれからクライマックスを迎えます。どうぞラジオNIKKEIの『中央競馬実況中継』でお楽しみください。

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