『中央競馬実況中継』放送開始のころ [あの日、あの時、競馬場で]
2016/03/01(火) 13:15

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【1】


 第1回は、『中央競馬実況中継』が始まった時のことをお伝えします。なにしろ60年前ですから、当時を知る人はもちろん会社にはもういません。当時のことを覚えているOBである先輩アナウンサーに話を伺って、あらためて「ヘぇ~、そうだったのか!」と思ったものでした。
 ラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)の『中央競馬実況中継』は、1956年(昭和31年)10月27日に中山競馬場で始まりました。毎週の土曜と日曜の午後1時15分から午後4時15分までの3時間の中継でした。この頃はダービーなどのレースだけを放送する局はあったのですが、長時間「実況中継」という形で競馬を放送するところはなく、日本短波放送が初めてだったのです。しかし、当時の競馬に対する世間の認知度は今と違って高くはなく、また肯定的ではなかったようです。


 競馬は"ギャンブル""必要悪的存在"と見られ、会社員が電車の中で競馬新聞を見ることなどありえない時代で、中継を開始することを発表すると新聞にはこう書かれました。
「...競馬に関心のない人や、日ごろから自分の近親者が入れあげるのを見ている人々は、やっぱり眉をひそめるのではないだろうか。(中略)アメリカやイギリスとちがって競馬をレクリエーションとするだけのゆとりを、国民一般がまだ持っていない日本では、やはりまだすすめたくない放送の一つである。」
(1956年10月1日産経新聞夕刊「放送時評」)


 「まだすすめたくない放送」と書かれてしまうのですから驚きです。こんな状況でしたから当時競馬中継を担当していた人達は大変だったようです。当時はプロ野球の実況中継の全盛時代で、プロ野球を担当しているアナウンサーは注目されても競馬担当の者は日陰の存在だったそうです。


 しかし、だからこそ競馬中継に対する思いは強くなったそうです。今競馬キャスターとして活躍されている大先輩アナウンサーの長岡一也さんは、会社に入った時から競馬中継の担当となった方ですが、「どうやったらシンザンの偉大さを伝えられるか、タケシバオーの怪物ぶりを知ってもらうにはどうするかと、仲間といつも話し合った」と言われたことがありました。ラジオが定期的な番組として競馬の実況をすること自体特殊なことと思われていた時代にアツい思いで競馬中継に取り組んだ先輩アナウンサーの方々がいたからこそ現在の競馬中継があると言えるでしょう。翻って今、「おまえは競馬中継にどれだけの情熱を持っているのか!?」と聞かれたら、ちょっと答えに詰まってしまうかもしれません。


 さて、1956年の『中央競馬実況中継』の記念すべき中継開始アナウンスは残念ながら残ってはいませんが、第25回桜花賞(勝馬ハツユキ - 加賀武見騎手騎乗)の前日、1965年(昭和40年)4月3日に第2放送で関西の競馬中継を開始した時の音声は保存されています。関西での『中央競馬実況中継』の第一声をぜひお聴きください。(中継開始のアナウンスをしているのは小坂巌アナウンサー)


第2放送の中継スタート当日の音声はこちらから→聴く


~『中央競馬実況中継』の歴史・その1~
●1954年(昭和29年) 8月27日 日本短波放送(現・日経ラジオ社)開局、わが国初の国内向け短波放送を開始
(※9月16日 日本中央競馬会設立。25日に第1回競馬開催)
●1956年(昭和31年) 10月27日 『中央競馬実況中継』レギュラー放送スタート
(この頃、関東地区の競馬場内実況の一部を担当)
●1959年(昭和34年) 6月21日 中山4歳ステークス(現・ラジオNIKKEI賞)に「日本短波賞」とサブタイトルがついて開催される
●1962年(昭和37年) 4月20日 第1回「競馬を楽しむ会」開催
●1964年(昭和39年) 5月28日 日本短波放送主催「日本ダービー祭」開催(東京・九段会館)
●1965年(昭和40年) 4月3日 第2放送で関西地区の『中央競馬実況中継』放送開始(場内実況も担当)

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