知っているようで知らない、競馬実況アナウンサーの1週間 [あの日、あの時、競馬場で]
2016.12/06 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【10】


 いよいよ12月。『中央競馬実況中継60周年』イヤーの2016年もあと1ヶ月足らずとなりました。「競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で」の最終回は、ラジオNIKKEIアナウンサーの1週間をご紹介します。


<月曜日>
 会社に1人だけ出社し、他のアナウンサーは休みます。競馬関係者にとって月曜日は『安息の日』と言えるでしょう。出社したアナウンサーは夜8時からの「競馬が好きだ!」で前日の重賞レースを振り返ります。


<火曜日>
 本社から美浦トレセン、そして大阪支社からは栗東トレセンでの取材のため、東西それぞれ1人のアナウンサーが夕方に出発します。「競馬が好きだ!」の火曜日は、今は地方競馬に特化した内容となっています。


<水曜日>
 東西のトレセンで取材を終えたアナウンサーは昼過ぎに戻り、録音してきたインタビューを編集し、コメントを「競馬実況web」にアップします。そして本社では、朝から出社していたアナウンサーとの掛け合いで、「競馬が好きだ!」の中で調教師などのコメントを取材したアナウンサーが紹介します。


<木曜日>
 トレセンに行ったアナウンサーは基本的に休みですが、もちろん別の仕事で出社することは多々あります。その週の出走馬が確定するので、出社しているアナウンサーは土日の準備に入ります。GIレースを迎える週ではそのレースの出走馬(枠順)、事前発表馬体重などを記事としてアップします。木曜日はJRAから発表される記事が一番多いと思います。


<金曜日>
 一番忙しい日です。「地球は競馬でまわってる」で鈴木淑子さんのお相手をする者、「うまきん3」に出演する者、土日の中継の準備をする者と様々です。土曜日にレース実況する者はレースの服色一覧表を見て「塗り絵」をします。同時開催の競馬場へ出張に行く者は夕方過ぎには出発します。夏の北海道への出張では飛行機に乗るため、時間を気にしながら仕事をしています。


<土曜日>
 本番の「中央競馬実況中継」です。中継は朝9時30分に始まります。中継スタッフは一時間前の8時30分には競馬場の放送席に到着し、準備をして全員で打ち合わせを始めます。
 ちなみに土曜日の中継の開始時刻は変遷があり、昭和の時代は11時45分でした。1989年(平成元年)4月から株式市場の土曜休場実施により、土曜日の開始時刻が9時50分になりました。第1レース発走10分前というものでした。その後レースの発走時刻が早まり(今や同時開催の第1レースは9時50分の発走がほとんどです)、2002年(平成14年)1月から土日とも開始時刻が午前9時30分となりました。
 そして中継をしながら、翌日にレースを実況するアナウンサーは「塗り絵」をします。番組の進行やレース後の取材などの仕事をしつつ日曜の準備をするわけです。


<日曜日>
 土曜日と同じように中継が始まり、メインレースへ向けて緊張感が高まっていき、最終レースが終わって16時45分終了です。仕事が終わった日曜の夜は開放感に浸れます(馬券があたらず落ち込む場合もかなりあります)。日曜の夜は、平日働いて土日休みという人達の金曜日の夜、「花金」(死語か?)にあたると言えるでしょう。


 去年と今年ここまでは、天候に恵まれて台風や雪のために開催が中止になったことはありませんが、中止となると同時開催のレースなどを中心に放送するなど番組の内容が大きく変わり、月曜などに行われる「代替競馬」の準備もしなくてはならないので大変です。競馬の開催は予定通り行われるのが一番です。


 平日にはニュースやCMを読んだり、他の番組を収録したりと競馬以外の仕事ももちろんあります。しかし、仕事の中心は土日の中継であることには違いなく、一週間は本当にアッと言う間に過ぎていきます。そして有馬記念が終わって年が明けて、1月5日に東西の金杯ですぐに次の年が始まるという感覚です。


 このテーマの最後は、半世紀前の有馬記念の実況をお聴きいただきます。初の『五冠馬』が誕生した伝説のレースです。このレースの実況はおそらくこれだけです。他のラジオ局にはそうそうないと思われます。今回はフルバージョンでお送りします。


1965年(昭和40年)12月26日 中山競馬場 曇・稍重
第10競走 第10回有馬記念 芝2600m 8頭
1番人気 シンザン     牡4 56 松本善登
2番人気 ハクズイコウ   牡4 56 保田隆芳
3番人気 ミハルカス    牡5 55 加賀武見
4番人気 ヒカルポーラ   牡6 55 高橋成忠
5番人気 ヤマトキョウダイ 牡5 55 野平祐二


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
1着 シンザン   牡4 56 松本善登 2分47秒2
2着 ミハルカス  牡5 55 加賀武見 1馬身3/4
3着 ブルタカチホ 牡4 56 大崎昭一 1/2


 『中央競馬実況中継60周年記念サイト』は、今年いっぱいで終了します。ラジオNIKKEIの「中央競馬実況中継」は61年目に入り、これから70周年、80周年に向けて進んでいきます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
 この記念サイトの制作にあたり、ラジオNIKKEIの大先輩アナウンサーである長岡一也さんから過去の中継に関する資料をいただきました。長岡さんのご協力に感謝申し上げます。



(1970年代の放送席の写真。レースを見つめるアナウンサーと解説者)


~『中央競馬実況中継』の歴史・その4~
1980年(昭和55年)11月22日 「ラジオたんぱ賞3歳ステークス」創設
1984年(昭和59年)12月9日 グレード制導入のこの年、重賞競走として「ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス」が行われる
1986年(昭和61年)3月29日 アメリカ・サンタアニタ競馬場の「サンルイレイステークス」を実況中継(シンボリルドルフ・3着)
1986年(昭和61年)10月27日 競馬放送30周年。特別番組を放送
1989年(平成元年)4月 株式市場の土曜休場実施により、土曜日の「中央競馬実況中継」の開始時刻が9時50分になる
1990年(平成2年)12月1日 初の本格的競馬ビデオ「グランプリ有馬記念」をCBSソニーより発売


1991年(平成3年)4月 競馬情報番組「ほんまゆみの競馬場に行くぜ!」スタート
1991年(平成3年)12月 ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスが「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」に名称変更
1992年(平成4年)10月24日 月刊競馬誌「馬劇場」創刊
1993年(平成5年)4月 地方競馬情報番組「全国競馬最前線」スタート
1993年(平成5年)11月3日 馬劇場海外ツアー第1弾「ブリーダーズC観戦ツアー」を4泊6日で実施
1994年(平成6年)4月8日 馬劇場初の別冊「競馬必勝データブック」発売
1994年(平成6年)12月3日 開局40周年記念特別番組「ターフ対談シリーズ・中央競馬 人・昔」を4回シリーズで放送
1995年(平成7年)4月 競馬情報番組「週刊競馬道場」スタート
1995年(平成7年)5月 「レースアナウンサー養成講座」開講
1995年(平成7年)9月10日 フランス・ロンシャン競馬場「ヴェルメイユ賞」実況中継(ダンスパートナー・6着)


1996年(平成8年)3月27日 アラブ首長国連邦・ナドアルシバ競馬場「ドバイワールドカップ」実況中継(ライブリマウント・6着)
1996年(平成8年)8月 CSデジタル音声放送「デジタルたんぱ501・502」開局
1997年(平成9年) 全国10都市横断・親と子のトークライブショー「常田富士男 民話の世界」開催。JOA(日本馬主協会連合会)との共催イベント
1998年(平成10年) 競馬情報番組「ウィークエンドパドック」スタート
1998年(平成10年) 3月27日 フランス・ドーヴィル競馬場「ジャック・ル・マロワ賞」実況中継(タイキシャトル・1着)
1999年(平成11年)10月3日 フランス・ロンシャン競馬場「凱旋門賞」実況中継(エルコンドルパサー・2着)


2001年(平成13年)12月17日 iモードサイト「ラジオたんぱ馬劇場」オープン
2002年(平成14年) 1月 「中央競馬実況中継」の放送開始時刻が午前9時30分となる
2003年(平成15年)10月1日 「株式会社日経ラジオ社」に社名変更
2004年(平成16年)4月1日 新愛称「ラジオNIKKEI」使用開始
2004年(平成16年)8月 開局50周年を迎える


2006年(平成18年)1月 モバイルサイト「ラジオNIKKEIモバイル」オープン
2006年(平成18年) ラジオたんぱ賞を「ラジオNIKKEI賞」に、ラジオたんぱ杯2歳ステークスを「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」に改称
2006年(平成18年)10月1日 フランス「凱旋門賞」実況中継(ディープインパクト・3位入線後失格)
2010年(平成22年)12月 ラジオNIKKEI第1をIPサイマルラジオ「radiko.jp」で配信開始


2012年(平成24年)7月 ラジオNIKKEI第2もIPサイマルラジオ「radiko.jp」で配信開始
2013年(平成25年)1月 新番組「鈴木淑子の地球は競馬でまわってる」スタート
2013年(平成25年)12月24日 本社を東京虎ノ門へ移転
2014年(平成26年)8月27日 開局60周年を迎える
2016年(平成28年)10月27日 「中央競馬実況中継」60周年を迎える

あの人がただ一度だけ行った、勝利騎手インタビュー [あの日、あの時、競馬場で]
2016.11/03 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【9】


 天皇賞(秋)も終わって、いよいよ11月。来週のエリザベス女王杯から最後の有馬記念までGIレースが毎週行われます。
 レースが終わり、表彰式の後にはウイナーズサークルでそのレースを制した騎手がお立ち台の上に立ち、「勝利騎手インタビュー」が行われます。GIタイトルを手にした騎手の晴れやかな表情を伝えるインタビューはレース後のお馴染みの光景となりました。


 今では勝利騎手へのインタビューは当たり前のように行われていますが、初めて行われた勝利騎手インタビューは53年前、1963年(昭和38年)9月24日の東京競馬場でした。この日のメインレースのクイーンステークスの時に行われたのでした。


 その初めてのインタビューの担当者として騎手にマイクを向けたのは、現在競馬キャスターとして活躍されている長岡一也さんでした。表彰式の後にレースを制したミストヨペットに騎乗した伊藤竹男騎手に声をかけたものの、レース後の騎手へのインタビューはそれまで前例のなかったこともあり、二言三言やりとりしただけでとてもインタビューとまではいかなかったそうです。


 勝利騎手インタビューは、競馬中継を始めたスタッフの「競馬に関わる人たちの声をよりリアルに伝えられたら...」という考えから生まれたものですが、この勝利騎手インタビューをアナウンサーではなく解説者の人が担当したことが一度だけあります。1970年(昭和45年)のことです。
 この年の春のクラシックは東のアローエクスプレスと西のタニノムーティエが人気を二分していました。初対決となったスプリングステークス、続く皐月賞もタニノムーティエに負けたアローエクスプレスは、5月10日に行われたダービーのトライアルレース、NHK杯でタニノムーティエと三度目の対決を迎えました。


 当時中継の解説をしていた大川慶次郎さん(故人)は、このレースではアローエクスプレスが勝つという確信があり、レース前から「アローエクスプレスが勝ったら、どうしてもインタビューをしたい」とスタッフに言い続けていたのだそうです。そしてアローエクスプレスが勝ち、勝利騎手の加賀武見騎手のインタビューを大川さんが行ったのでした。解説者による勝利騎手インタビューは今もってこの時だけです。


 ここで懐かしの勝利騎手インタビューをお聴きください。今から43年前の1973年(昭和48年)5月27日、当時『怪物』と呼ばれた馬を負かし、ダービージョッキーとなった騎手へのインタビューです。


インタビューはこちらから→聴く


1973年(昭和48年)5月27日 東京競馬場 晴・良
第40回東京優駿(日本ダービー) 芝2400m 27頭
1着 タケホープ   牡3 57 嶋田功 2分27秒8
2着 イチフジイサミ 牡3 57 津田昭 1馬身3/4
3着 ハイセイコー  牡3 57 増沢末夫 3馬身1/2


 ちなみにラジオNIKKEIはGIレース以外の重賞レースでも勝利騎手インタビューを行っています。福島(ラジオNIKKEI賞、福島記念など)、新潟(関屋記念、新潟記念など)、そして小倉(小倉記念、小倉2歳ステークスなど)の重賞レースで勝利ジョッキーにインタビューし、さらに初勝利をあげた騎手(デビューした新人騎手、JRAでの初勝利となった外国人騎手と地方競馬の騎手)と100勝ごとに区切りの勝利をあげた騎手(通算300勝や年間100勝などを達成した騎手)へのインタビューも行っています。


 さぁ、これから秋競馬はクライマックスの有馬記念まで、注目のレースが続きます。来週のエリザベス女王杯の後、ウイナーズサークルのお立ち台でラジオNIKKEIのアナウンサーにマイクを向けられる騎手は果たして誰でしょうか。

実況アナは双眼鏡片手に、世界を飛び回る [あの日、あの時、競馬場で]
2016.09/27 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【8】


 凱旋門賞が行われる10月2日が近づいてきました。フランスのシャンティイ競馬場で、日本のマカヒキが世界の強豪を相手にどんなレースをするのか本当に楽しみです。


 10月27日に競馬中継60周年を迎えるラジオNIKKEIは、これまで数多くのレースを海外から中継してきました。戦後、初めて海外遠征を行った馬は1958年のハクチカラでしたが、ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)が初めて海外からレースを中継したのは、それから9年後の1967年(昭和42年)11月11日にアメリカのローレル競馬場で行われたワシントンDCインターナショナル(スピードシンボリが出走して5着)でした。


 その後は1986年になります。『7冠馬』シンボリルドルフが出走したアメリカのサンタアニタパーク競馬場で行われたサンルイレイステークス(結果は6着)です。ロサンゼルスの日本語FM局から制作協力を得て中継しました。
 ドバイのレースは第1回から中継しています。1996年3月27日にUAEのナドアルシバ競馬場で行われた第1回ドバイワールドカップ。日本からは当時ダート王として君臨していたライブリマウントが出走し、6着となった模様をお伝えしました。その後の海外からお伝えしたレースは以下の通りです。


●1997年
 ドバイワールドカップ(ナドアルシバ・ホクトベガが競走中止)
 オークツリーBCマイル(サンタアニタパーク・タイキブリザード3着)
 凱旋門賞(ロンシャン・日本馬の出走はなし)
●1998年
 ドバイワールドカップ(ナドアルシバ・キョウトシチー6着)
 モーリスドゲスト賞(ドーヴィル・シーキングザパール1着)
  〔※日本調教馬による欧州G1競走初制覇〕
 ジャックルマロワ賞(ドーヴィル・タイキシャトル1着)
 ムーランドロンシャン賞(ロンシャン・シーキングザパール5着)
 香港国際ボウル(シャティン・ロイヤルスズカ4着)
 香港国際カップ(シャティン・ミッドナイトベット1着)
●1999年
 イスパーン賞(ロンシャン・エルコンドルパサー2着)
 サンクルー大賞(サンクルー・エルコンドルパサー1着)
 フォワ賞(ロンシャン・エルコンドルパサー1着)
 アベイユドロンシャン賞(ロンシャン・アグネスワールド1着)
 凱旋門賞(ロンシャン・エルコンドルパサー2着)
 香港スプリント(シャティン・日本馬の出走はなし)
 香港ヴァーズ(シャティン・ローゼンカバリー7着)
 香港マイル(シャティン・ミッドナイトベット8着)
 香港カップ(シャティン・エアジハードが出走取消)
●2000年
 ゴドルフィンマイル(ナドアルシバ・タガノサイレンス6着)
 ドバイシーマクラシック(ナドアルシバ・ゴーイングスズカ5着)
 ドバイワールドカップ(ナドアルシバ・ワールドクリーク6着)
 シンガポール航空国際カップ(クランジ・日本馬の出走はなし)
 キングズスタンドステークス(アスコット・アグネスワールド2着)
 ジュライカップ(ニューマーケット・アグネスワールド1着)
 キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(アスコット・エアシャカール5着)
 BCスプリント(チャーチルダウンズ・アグネスワールド8着)
 BCフィリー&メアターフ(チャーチルダウンズ・マルターズスパーブ13着)
●2001年
 ゴドルフィンマイル(ナドアルシバ・ノボトゥルー9着)
 ドバイシーマクラシック(ナドアルシバ・ステイゴールド1着)
 ドバイデューティフリー(ナドアルシバ・イーグルカフェ9着)
 ドバイワールドカップ(ナドアルシバ・トゥザヴィクトリー2着)
 クリスフライヤースプリント(クランジ・日本馬の出走はなし)
 シンガポール航空国際カップ(クランジ・日本馬の出走はなし)
 香港スプリント(シャティン・ダイタクヤマト12着)
 香港ヴァーズ(シャティン・ステイゴールド1着)
 香港マイル(シャティン・エイシンプレストン1着)
 香港カップ(シャティン・アグネスデジタル1着)
●2002年
 クイーン・エリザベスII世カップ(シャティン・エイシンプレストン1着)
 凱旋門賞(ロンシャン・マンハッタンカフェ13着)
●2003年
 香港マイル(シャティン・ローエングリン3着)
 香港カップ(シャティン・エイシンプレストン7着)
●2004年
 ドバイゴールデンシャヒーン(ナドアルシバ・マイネルセレクト5着)
 ドバイワールドカップ(ナドアルシバ・アドマイヤドン8着)
 香港スプリント(シャティン・サニングデール7着)
 香港マイル(シャティン・デュランダル5着)
 香港カップ(シャティン・ダンスインザムード13着)
●2005年
 インターナショナルステークス(ヨーク・ゼンノロブロイ2着)
●2006年
 凱旋門賞(ロンシャン・ディープインパクト3位入線 ※後に失格)
●2007年
 シンガポール航空国際カップ(クランジ・シャドウゲイト1着)
●2013年
 フォワ賞(ロンシャン・オルフェーヴル1着)
 ニエル賞(ロンシャン・キズナ1着)
 凱旋門賞(ロンシャン・オルフェーヴル2着)
●2016年
 UAEダービー(メイダン・ラニ1着)
 アルクオーツスプリント(メイダン・ベルカント12着)
 ドバイシーマクラシック(メイダン・ドゥラメンテ2着)
 ドバイワールドカップ(メイダン・ホッコータルマエ9着)
 ケンタッキーダービー(チャーチルダウンズ・ラニ9着)


 今はインターネットのおかげで、現地や外国馬の情報などがすぐに入ってくる時代です。ドバイや香港、ロンシャンでは何度も中継をしてきたので、今は戸惑う事はありませんが、1990年代の海外中継ではスタッフはなかなか苦労したようです。外国の競馬場側と交渉して放送席となるスペースを確保したものの、行ってみたらドイツの放送局がもう機材を置いて占領していたこともありました(通訳の人に「ここは我々が使う所」と言ってもらい、出て行ってもらいました)。
 また、ロンシャンなど広い外国のコースを初めて実況するアナウンサーも大変です。JRAのレースならゴールに近い放送席で実況出来るわけですが、海外に行くとそうはいきません。与えられた場所で初めて見る勝負服の出走馬をどう馬を見分けるか、実況アナウンサーの対応力が問われるところです。


 これまで日本調教馬による欧州G1初制覇レース、凱旋門賞で日本の馬が初めて勝ち負けをした瞬間、香港国際競走で日本の馬が3勝したあの日、そして大いなる期待と注目を集めてディープインパクトが出走した凱旋門賞などをお伝えし、そして今年はケンタッキーダービーの中継を行いました。これからもヨーロッパ、アメリカ、ドバイ、香港、シンガポール、さらにはオセアニアや先日国際競走が行われた韓国からもレースをお伝えする日が来ると思います。ラジオNIKKEIのアナウンサーは、商売道具の双眼鏡をスーツケースに入れて飛び回ります。


 今回は海外中継でお伝えしたレースの中から、15年前にステイゴールドがドバイで大接戦の末に勝利したレースをお送りします。実況した檜川彰人アナウンサーの興奮も伝わる実況です。


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
2001年3月24日 ナドアルシバ競馬場 
ドバイシーマクラシック(G2) 芝2400m 14頭
1着 ステイゴールド 2:28.2 武豊
2着 ファンタスティックライト ハナ
3着 シルヴァノ 2馬身


 さぁ、いよいよ凱旋門賞です。初めて日本で馬券が発売される海外のレースとしても注目されていますが、ラジオNIKKEIの舩山陽司アナウンサーがニエル賞に続いて現地から実況します(グリーンチャンネルで放送)。はたして舩山アナが「マカヒキが先頭でゴールイン!」と言うことが出来るのか? 歴史的瞬間が訪れるのか? テレビの前で応援しましょう!

時代がどんなに変わっても、変わらないものがある [あの日、あの時、競馬場で]
2016.08/23 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【7】


 ラジオNIKKEIの『中央競馬実況中継』は、放送開始から10月で丸60年となります。基本的な中継のスタイルは、昔と比べて基本的には変わっていません。レースの実況があり、そのレースの解説、払戻金を伝えて次のレースのパドックの中継へと移り、それが終わるとオッズを紹介して、発走までの時間はメインレースの予想など...となります。


 さて、中継を担当する男性アナウンサーの主な仕事はレース実況と司会進行(パドック中継の進行は東西ともに女性アナウンサーが担当しています)ですが、もう一つ重要な仕事があります。それは、レース後の取材です。


 重賞などのメインレースを含めた特別戦と新馬戦は必ず取材して、各インターバル(レースとレースの間)でレース後の騎手や調教師などのコメントをご紹介しています。その時期によっては2歳未勝利戦や平場の3歳500万円以下なども取材してお伝えしています。重賞レースについては東西の競馬場でそのコメントを共有し、ラジオNIKKEI第1と第2の両方でお伝えしています。スポーツ新聞の記者さん達と一緒に取材をして、関係者のコメントとともに勝った騎手、負けた騎手の表情などをすぐに伝えています。生中継の良さは速報性にあり、現場である競馬場にいるから出来るものです。
 そしてインターネットの時代を迎え、せっかく取材したのだから、そのコメントを中継だけでなくホームページにも載せて伝えようということになり、土曜日と日曜日には「競馬実況web」トップページにレース後のコメントがアップされることになったのです。


 ちなみに皆さんが今ご覧になっていラジオNIKKEIのホームページは、1996年3月25日に「ラジオたんぱホームページ」として開設されました。そして今の「競馬実況web」の前身である「ラジオたんぱ競馬実況ホームページ」は、1998年3月28日に誕生しました。その後社名の変更(日本短波放送 → 日経ラジオ社)があり、2004年4月1日に新しい愛称である「ラジオNIKKEI」の使用が始まったことに合わせて「ラジオNIKKEIホームページ」となり、「ラジオたんぱ競馬実況ホームページ」も「競馬実況Web」に生まれ変わりました。


 現在新潟、小倉、そして札幌の新馬戦、特別戦が終わるたびにアナウンサーが交代で、レース後に検量室に行って取材をして、中継内でコメントを紹介し、それを競馬実況webにもアップしています。昔と比べて今は伝える手段が格段に増えました。今や「radiko」があり、スマホやパソコンで競馬中継が聴けるようになりました。JRAのホームページでは全てのレースの映像が見られます。


 しかし、時代がどんなに変わっても伝えるのは人間です。競馬場にいるアナウンサーです。競馬中継に真摯に取り組み、競馬そのものを伝える。これは中継が始まった60年前から今も、そしてこれからも変わりません。


 さて、今回の最後はクイズです。以下のコメントは、6年前に競馬実況webに載った、ある新馬戦で勝った2歳馬の関係者のコメントです。その馬を管理している調教師がレース後に語った言葉ですが、さてこの新馬戦を勝った馬の名前とは?


●レース後のコメント
「普段はおっとりしている馬なんですが、今日は装鞍所からイレ込んでしまって幼い面が出てしまいました。レースでは道中は折り合っていい感じで遊んでいたものの、抜け出してからはステイゴールドばりに内ラチまで行ってしまいましたし。勝って2歳ステークスも考えていたんですが、この後はしばらく精神面がしっかりするのを待ちたいと思います」


 それでは正解として、この新馬戦のレース実況をお聴きください。


レース実況はこちらから→聴く


 正解は、オルフェーヴル。オルフェーヴルのデビュー戦後の池江泰寿調教師のコメントでした。皆さんにとっては簡単過ぎる問題だったでしょうか?


<レース結果>
2010年(平成22年)8月14日(土) 3回新潟初日 曇・重
第5競走 サラ系2歳新馬 芝1600m 14頭
1着 オルフェーヴル   牡2 池添謙一 1分37秒4
2着 ショウナンパルフェ 牡2 蛯名正義 1馬身1/2
3着 マイティージュニア 牡2 吉田豊 1馬身1/2

楽しい思い出も、苦い思い出も。夏競馬の出張の"歴史" [あの日、あの時、競馬場で]
2016.07/26 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【6】


 今週から東は新潟に、西は小倉に、さらには北海道は函館から札幌に舞台が移って夏競馬が行われます。ラジオNIKKEIの中継スタッフは、これからの6週間、3つの競馬場に散って仕事をしていきます。毎週金曜日の夕方に会社を出て、日曜日の夜に戻る2泊3日の出張です。今回は中継そのものではなく、夏競馬の出張の話をお送りします。


 北海道(函館や札幌)に行く場合は今も昔も飛行機です。しかし、福島と新潟、そして中京と小倉では新幹線を利用します。今でこそ新幹線で行けば、東京から新潟まではほぼ2時間。そして小倉へは2時間あまりで到着します(ちなみに新大阪発のぞみ41号なら17時06分に出発して小倉には19時22分に着きます)。


 それでは、新幹線がなかった時代はどうだったのでしょう。新潟を例にあげますと、1962年(昭和37年)6月10日に上野駅―新潟駅を運行する上越線初の特急列車「とき」が運転を開始しましたが、この時の所要時間は4時間40分でした。上越新幹線が誕生したのは1982年(昭和57年)で、まずこの年の11月15日に大宮―新潟間が開業し、1985年(昭和60年)3月14日に上野―大宮間の延伸が開業して新幹線の上野駅の乗り入れが始まりました(ちなみに東京―上野間の延伸が開業して東京駅の乗り入れが始まったのは1991年6月20日でした)。
 新幹線が開通する前は今より倍以上の時間がかかったのですから、行くだけでも大変な仕事だったと思われます。


 さて、現地に着いて泊まるのはビジネスホテルです。しかし、昔はホテルなどはなく、泊まるのは旅館でした。競馬場に近い旅館で、大部屋に5~6人で泊まったのだそうです。その旅館には他の放送局やスポーツ新聞社の記者も泊まっていたので、仕事が終わると「この部屋は麻雀部屋で、ここは酒を飲む者の部屋で、寝たい人はこっちで...」という具合に多くの人が入り乱れて夜を過ごしたのだと先輩アナウンサーに聞いたことがあります。プライベートなんてものはなかったのです。
 また、夏ですから暑いわけです。昔の旅館にエアコンはなく、部屋にあった扇風機は先輩アナウンサーが独占してしまうので、若い頃は寝苦しくて大変だったとも聞きました。


 ところで新潟なら古町、札幌ならススキノ、小倉なら魚町あたりが歓楽街と言えますが、そこに繰り出すことも出張の楽しみです。馴染みの店に行って美味しいお酒を飲んで、その結果これまで数多くの武勇伝、エピソードが生まれました。


 もう旅館ではなく、定宿をビジネスホテルに変えた頃、あるアナウンサーはかなりお酒を飲んで帰り、夜中にトイレに行きたくなってドアを開けてトイレがあるユニットバスに入ったつもりが、気が付いたら廊下に出ていたそうです。寝ぼけて間違えてしまったわけです。しかも暑くてパンツまで脱いでランニングシャツだけという姿で寝ていたのでした。ドアはオートロックだったので部屋に入れず、仕方なく鍵を開けてもらうために1階のフロントまでランニングシャツを下に引っ張って股間を隠して行ったのでした。想像するとちょっと恐ろしい図です。


 また、あるディレクターはお酒が大好きで、飲み歩いてホテルに戻るのが深夜2時や3時になることが多く、よくフロントの前のソファで寝ていました。部屋に戻ってベッドに横になると寝過ごして朝の集合に遅れてしまうと考えて、わざと部屋で寝ないでソファで寝ることにしていたのです。それが毎週繰り返されたので、「あいつはホテルにチェックインしないで、荷物を駅のコインロッカーにでも入れておけばいいんじゃないのか。どうせホテルで寝泊まりしないんだから」と他の人から言われていました。翌日は二日酔いとなり、水ばかり飲みながら仕事をしていたことを覚えています。他にもお酒を飲みすぎて気持ち悪くなり、●●を店内で吐きちらしてその店から出入り禁止を言い渡されたり、馬券での損失を補填しようとしてパチンコ店で勝負して結局ホテル代さえも失ったアナウンサーなどもいました。


 今回の懐かしのレースは第1回の新潟記念です。第1回は51年前に行われました。この時の1番人気はウメノチカラ。1963年の朝日杯3歳ステークスの勝ち馬で、ダービーと菊花賞ではあのシンザンの2着となった馬です。


1965年(昭和40年)8月1日 新潟競馬場 晴・良
第8競走 第1回新潟記念  芝2000m 11頭
1番人気 ウメノチカラ 牡4 57 津田昭
2番人気 メジロオーザ 牡4 54 矢野一博
3番人気 ローダンセ  牝4 49 中島啓之
4番人気 セエチヨウ  牡3 53 藤本勝彦
5番人気 テルクイン  牝4 54 古山良司


レース実況はこちらから→聴く


 さぁ、夏競馬も後半戦です。リオデジャネイロオリンピックがもうすぐ始まりますが、そちらをテレビ観戦して寝不足、というのはいけません。寝不足は次の日の仕事に影響します。寝不足で、さらに二日酔いですと頭が働きません。夏の暑さも手伝ってボーッとなった頭で実況すると馬の名前がスラスラ出てきません。自己管理、体調管理に気を付けなければと思いつつ、残る6週の夏競馬に臨みたいと思います。


<レース結果>
1着 ウメノチカラ 牡4 57 津田昭  2分05秒7(レコード)
2着 メジロオーザ 牡4 54 矢野一博 クビ
3着 パシカリーム 牝3 49 高橋隆  2馬身1/2

60周年なのに65回目? ラジオNIKKEI賞の歴史 [あの日、あの時、競馬場で]
2016.06/14 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【5】


 来月7月2日から夏の福島競馬がスタートします。そして開幕週の日曜日、7月3日には私どもの社杯レースである第65回ラジオNIKKEI賞が行われます。ここで「あれ?」とお気づきになった方もいらっしゃるでしょう。「今年競馬中継60年なのに、なんでラジオNIKKEI賞が65回なの?」と。今回はラジオNIKKEI賞の歴史についてご紹介します。


「ラジオNIKKEI賞」の元々のレースは、1952年に皐月賞の前哨戦として創設された4歳(今の3歳)馬による重賞競走「中山4歳ステークス」です。このレースは第1回から中山競馬場で行われましたが、第3回の1954年からは、春のクラシックシーズン終了後の6月下旬に行われるようになりました。


 そして翌年の第4回から1967年の第16回まで「東京優駿(日本ダービー)の勝ち馬は出走不可」という出走条件となり、日本ダービーの優勝馬は出走できなくなりました。そのためこのレースは敗者復活戦的な性格を帯びて、日本ダービーでの活躍が叶わなかった馬が集まる春競馬最後の4歳限定重賞であることから『残念ダービー』と言われるようになりました。


 このレースの競走名はかなり変遷があります。1959年の第8回から「日本短波賞中山4歳ステークス」(1959年6月21日・勝ち馬はシゲミノル、勝利騎手は坂本栄三郎)となり、第10回の1961年から中山4歳ステークスがはずれて「日本短波賞」となりました。さらに第28回(1979年)からは「ラジオたんぱ賞」となり、第55回(2006年)から現在の「ラジオNIKKEI賞」となりました。


 そして舞台となる競馬場ですが、第28回の1979年から福島競馬場で行われることになり、七夕賞と並んで夏の福島開催で行われる重賞レースとして定着していきました。(東京競馬場では過去6回行われたことがあります。また1989年には新潟競馬場で行われました)


 今回は、初めて「日本短波賞」という名称になって行われた第10回のレース実況をお送りいたします。


1961年(昭和36年)6月25日 中山競馬場 雨・不良
第10競走 第10回日本短波賞  芝1800メートル 12頭
1番人気 アズマテンラン  牡3 55 高橋英夫
2番人気 ユキロウ     牡3 58 渡辺正人
3番人気 ケンカツプ    牡3 55 藤本勝彦
4番人気 エーデルワイス  牝3 53 保田隆芳
5番人気 サンセイミドリ  牝3 53 野平好男


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
1着 アズマテンラン 牡3 55 高橋英夫 1分51秒6
2着 エーデルワイス 牝3 53 保田隆芳 クビ
3着 ケンロクオー  牡3 55 古山良司 2馬身1/2


 レースの名称が「ラジオNIKKEI賞」となった2006年からハンデ戦となり、1番人気の馬はここ数年不振でしたが、昨年は10年ぶりに1番人気のアンビシャスが勝ちました。
 このアンビシャスは宝塚記念に出走するようですが、勝てばラジオNIKKEI賞の勝ち馬がその後にGIホースとなったことになり、これは1992年の第41回の勝ち馬であるシンコウラブリイ(1993年の第10回マイルチャンピオンシップ制覇)以来となります。宝塚記念は『ラジオNIKKEI賞ホース』に期待したいと思います。


最後に残ったのは、秋の福島でした [あの日、あの時、競馬場で]
2016.06/01 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【4】


 「中央競馬実況中継」は1956年(昭和31年)10月27日にスタートし、1965年(昭和40年)4月3日には第2放送で関西地区の「中央競馬実況中継」放送開始(場内実況も担当)を開始したことは既にご紹介しました。


 今では全国で10ある日本中央競馬会の競馬場全てで中継をし、全てのレースの場内実況を担当しています。それでは、JRAの全てのレースの場内実況をするようになったのはいつからなのか? 今回はそのことにについてご紹介します。


 今、夏競馬の本場開催となるのは東では福島と新潟で、西では中京と小倉です。1965年に第2放送で関西地区の「中央競馬実況中継」を開始した時は中京競馬場からでした。そしてこの年の7月には福島競馬場、新潟競馬場、小倉競馬場からの実況中継を開始しました。さらに北海道の函館競馬場と札幌競馬場のレースも第1放送で2元中継という形で放送し、1980年(昭和55年)には全国10の競馬場全ての場内実況を担当することになったのでした。


 しかし、「全てのレースの場内実況を担当」することになったのは1980年代の中頃からでした。ラジオNIKKEI(当時は「ラジオたんぱ」)が場内実況をまだ担当していない、最後に残った開催は当時10月、11月頃に行われていた第2回と第3回の福島競馬でした。


 当時の秋の福島競馬は2開催連続で8週あり、4歳(今の3歳)未勝利戦が数多く組まれていました。当時は福島の地元ラジオ局が場内実況を担当していました。ラジオNIKKEIは、第3場の同時開催では2人のアナウンサーが現地に出張してレース実況を交替で担当していますが、この時の福島競馬では場内実況を担当していないからというためだったのか、福島に行ったアナウンサーは1人だけでした。
 1人で土日全てのレースを実況するというのもキツかったのではないかと思いますが、「広い放送席に1人でポツンといたけど、のんびりしてなかなか良かったよ」と"1人で土日全レース実況"を経験した先輩アナウンサーが昔言っていたことを覚えています。


 今回は、秋の福島開催で行われる重賞競走、福島記念の第1回のレースをお送りします。
 第1回福島記念は1965年の8月に行われました。昔の福島競馬は夏に2開催連続で7月や8月、9月に行われて、秋の開催はありませんでした。ちなみに第1回の七夕賞もこの年に行われ、この福島記念の2週前の第1回福島競馬で行われたのでした。


1965年(昭和40年)8月29日 福島競馬場 晴・良
第8競走 第1回福島記念 ハンデ 芝2000メートル 7頭
1番人気 ヤマトキョウダイ 牡5 60 梶与四松
2番人気 ライデン     牡4 51 高橋英夫
3番人気 ダイニシマユキ  牡5 55 加賀武見
4番人気 マツフジ     牡5 54 野平好男
5番人気 ウイステリヤ   牝3 49 古山良司


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
1着 ウイステリヤ 牝3 49 古山良司 2分4秒8
2着 パールボーイ 牡3 50 横山富雄 1馬身3/4
3着 ライデン   牡4 51 高橋英夫 1馬身1/4


 先月春の新潟競馬が終了して、今月18日から夏の函館競馬が幕を開けます。来月7月には福島、中京、そして函館へとラジオNIKKEIの競馬中継スタッフは向かいます。いよいよ10週連続の出張がスタートするわけです。この夏の出張は楽しいものであると同時に色々と大変なこともあります。昔の福島や小倉、函館などでの出来事やエピソードは今後ご紹介する予定です。どうぞお楽しみに。


~『中央競馬実況中継』の歴史・その3~
◯1975年(昭和50年)12月20日
 カセットテープ「'75中央競馬重賞ハイライト」を発売、以後シリーズ化
◯1976年(昭和51年)11月3日 「中央競馬実況中継」開始20周年記念番組放送
◯1978年(昭和53年)11月23日 愛称に「ラジオたんぱ」を採用
◯1980年(昭和55年) 全国10競馬場全ての場内実況を担当

ファンファーレ今昔物語 [あの日、あの時、競馬場で]
2016.04/26 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【3】


 1956年(昭和31年)10月27日にスタートしたラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)の『中央競馬実況中継』。始まった時の番組内容、放送スタイルは今のものとはかなり違っていたことは前回でお伝えしました。手探り状態で、当時の中継スタッフは自分たちで考えて中継の中身を生み出していきました。


 その中で、ファンファーレもラジオNIKKEIの『中央競馬実況中継』によって生み出されたもののひとつです。


 JRAの競馬場で流れるファンファーレは、ご存じのように競馬場やレースの条件によって異なります。その種類は、「札幌・函館競馬場」「福島・新潟競馬場」「東京・中山競馬場」「京都・阪神競馬場」「小倉・中京競馬場」用の5つがあり、それらの中でもレース条件(一般レース、特別レース、重賞レース)によって異なるものが使用されています。今やGIレースでは、ファンファーレが流れると競馬場内のファンが手拍子をして盛り上がる光景がお馴染みとなりました。


 しかし、ファンファーレは、昔はありませんでした。『中央競馬実況中継』が始まった当初、ファンファーレはなかったのです。当時の日本短波放送の編成局長だった人が発した一言から、競馬のファンファーレは誕生しました。


 それは「いざレース、というきっかけが判りにくい。なんとかならないかなぁ」で、これを聞いた当時の競馬中継のプロデューサーがファンファーレを思いつきました。そして、エドアルト・シュトラウスが作曲したポルカ「テープは切られた」をファンファーレ曲に決めて発走前に流すようにしたのです。ファンファーレを中継に使い始めたのは1959年(昭和34年)で、それから数か月後に競馬会も「これはいい」と場内に流すようになったのです。その後、この曲が全国の競馬場でも流れるようになったのですが、京都競馬場だけはビゼー作曲の「カルメン組曲」の中の「衛兵の交替」をファンファーレとして使いました。


 それから時は流れて1986年、中山競馬場のファンファーレを実験的に創作したところ、これが好評となり、他の競馬場も追随して1988年までに各地区のオリジナル・ファンファーレが出揃ったのでした。すぎやまこういちさんが作曲した今の『東京競馬場・中山競馬場のGIファンファーレ』が初めて流れたのは1986年12月21日の中山競馬場、ダイナガリバーが勝った第31回有馬記念でした。


 今週から6月の安田記念まで毎週GIファンファーレが流れます。今回は、現在のGIファンファーレが初めて日本ダービーの発走時に流れた28年前のレース実況をお送りします。1988年の第55回日本ダービーです。


1988年(昭和63年)5月29日 東京競馬場 晴・良
第10競走 第55回東京優駿(日本ダービー) GI 芝2400メートル 24頭
1番人気 サッカーボーイ   牡3 57 河内洋
2番人気 ヤエノムテキ    牡3 57 西浦勝一
3番人気 サクラチヨノオー  牡3 57 小島太
4番人気 コクサイトリプル  牡3 57 柴田政人
5番人気 マイネルグラウベン 牡3 57 蛯沢誠治


レース実況はこちらから→聴く


<レース結果>
1着 サクラチヨノオー 牡3 57 小島太  2分26秒3
2着 メジロアルダン  牡3 57 岡部幸雄 クビ
3着 コクサイトリプル 牡3 57 柴田政人 1/2馬身


 ファンファーレが流れるといよいよ本番です。GIのファンファーレは、大相撲で例えるなら結びの一番で呼出が力士を呼び上げる声でしょう。また野球なら9回裏の二死満塁でバッターが打席に入った時に主審が言う「プレイボール!」でしょうか。まさに緊迫した瞬間です。その時、GIファンファーレが流れている時は各局の実況担当アナウンサーは何を思い、何をしているのでしょう?馬を見て馬名の最終チェックか、第一声をどうしゃべり出すのかを考えているのか、または気合を入れなおしているのか、とにかくもの凄く集中していることだけは確かです。


 春のGIレースはこれからクライマックスを迎えます。どうぞラジオNIKKEIの『中央競馬実況中継』でお楽しみください。

生まれては消える、コーナーの数々 [あの日、あの時、競馬場で]
2016.03/29 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【2】


 ラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)の『中央競馬実況中継』は、1956年(昭和31年)10月27日にスタートしましたが、始まった時の番組内容、放送スタイルは今のものとはかなり違いました。とにかく他の局はどこもやっていないのですから、自分たちで考えて中継の中身を生み出していくしかなかったのです。


 ですから、当時の中継スタッフはレースとレースの間の時間に何をするかで悩んだそうです。今ではレースが終われば次のレースのパドック中継があり、オッズを紹介して、メインを中心としたレース展望があり、トレセンで取材したインタビューも出します。また、ゲストを招いてのコーナーなどいろいろなことが行われています。しかし、最初からパドック中継というものはなく、中継開始当初は以下の『コーナー』を放送していました。


「録音構成による成績放送」
 午前のレース実況を交えた終了レースの結果


「座談会」
 今では考えられませんが、現役の調教師3人が出演してレースについて語るコーナーでした。「競馬のことは調教師に聞けばいいだろう」という考えがあったそうです。しかし、出演しても調教師は他の厩舎の馬の話をするのはやはり抵抗があったようで、競馬ファンの期待に応える内容とはならず、やがて解説をしていた大川慶次郎さん(故人)と記者2人が話し合う形になりました。


「競馬教室」
 競馬の基礎知識を伝える内容


「ファンの声
 競馬に対する要望、中継に対する意見を取り上げて紹介


「競馬案内」
中央競馬のPRを含めた競馬に関するニュース、お知らせ


 また、他にも「調教見たまま」「ディスクジョッキー」(なんと音楽を流していたこともあったのです!)「今日のレースで目立った馬」などのコーナーが生まれては消えていきました。そうした中、まさに手探りで進みながら『中央競馬実況中継』の放送スタイルは固まっていったのです。


 さて、レース「実況」も中継が始まった時と今とではかなり違います。このことについては次回以降で触れることになりますが、中継を始めたものの当時の日本短波放送には競馬の実況をしたアナウンサーがいませんでした。これはあまり知られていませんが、最初に場内実況を担当したのは日本中央競馬会の職員だったのです。東西で3人ほど、実況の「担当者」がいたそうです。その人達にアナウンサーが教えてもらいながらレース実況を覚え、中継の中で実況したのです。ですから、最初は競馬会の職員による競馬場内に流れる実況をラジオに乗せていたのです。


 それでは1959年(昭和34年)12月20日に行われた第4回有馬記念(勝馬ガーネット)の実況をお聴きください。実況しているのは『職員』だった脇重治郎さんです。


レース実況はこちらから→聴く


~『中央競馬実況中継』の歴史・その2~
●1965年(昭和40年)7月から小倉、新潟、福島競馬の実況中継を開始
●1967年(昭和42年)11月12日 アメリカ・ローレル競馬場の「ワシントンDCインターナショナル」を実況中継(スピードシンボリ・5着)。以降海外競馬中継を適時放送
●1970年(昭和45年)4月5日 「大川慶次郎の勝馬大作戦」放送開始

『中央競馬実況中継』放送開始のころ [あの日、あの時、競馬場で]
2016.03/01 記事URL

競馬中継60年~あの日、あの時、競馬場で【1】


 第1回は、『中央競馬実況中継』が始まった時のことをお伝えします。なにしろ60年前ですから、当時を知る人はもちろん会社にはもういません。当時のことを覚えているOBである先輩アナウンサーに話を伺って、あらためて「ヘぇ~、そうだったのか!」と思ったものでした。
 ラジオNIKKEI(当時は日本短波放送)の『中央競馬実況中継』は、1956年(昭和31年)10月27日に中山競馬場で始まりました。毎週の土曜と日曜の午後1時15分から午後4時15分までの3時間の中継でした。この頃はダービーなどのレースだけを放送する局はあったのですが、長時間「実況中継」という形で競馬を放送するところはなく、日本短波放送が初めてだったのです。しかし、当時の競馬に対する世間の認知度は今と違って高くはなく、また肯定的ではなかったようです。


 競馬は"ギャンブル""必要悪的存在"と見られ、会社員が電車の中で競馬新聞を見ることなどありえない時代で、中継を開始することを発表すると新聞にはこう書かれました。
「...競馬に関心のない人や、日ごろから自分の近親者が入れあげるのを見ている人々は、やっぱり眉をひそめるのではないだろうか。(中略)アメリカやイギリスとちがって競馬をレクリエーションとするだけのゆとりを、国民一般がまだ持っていない日本では、やはりまだすすめたくない放送の一つである。」
(1956年10月1日産経新聞夕刊「放送時評」)


 「まだすすめたくない放送」と書かれてしまうのですから驚きです。こんな状況でしたから当時競馬中継を担当していた人達は大変だったようです。当時はプロ野球の実況中継の全盛時代で、プロ野球を担当しているアナウンサーは注目されても競馬担当の者は日陰の存在だったそうです。


 しかし、だからこそ競馬中継に対する思いは強くなったそうです。今競馬キャスターとして活躍されている大先輩アナウンサーの長岡一也さんは、会社に入った時から競馬中継の担当となった方ですが、「どうやったらシンザンの偉大さを伝えられるか、タケシバオーの怪物ぶりを知ってもらうにはどうするかと、仲間といつも話し合った」と言われたことがありました。ラジオが定期的な番組として競馬の実況をすること自体特殊なことと思われていた時代にアツい思いで競馬中継に取り組んだ先輩アナウンサーの方々がいたからこそ現在の競馬中継があると言えるでしょう。翻って今、「おまえは競馬中継にどれだけの情熱を持っているのか!?」と聞かれたら、ちょっと答えに詰まってしまうかもしれません。


 さて、1956年の『中央競馬実況中継』の記念すべき中継開始アナウンスは残念ながら残ってはいませんが、第25回桜花賞(勝馬ハツユキ - 加賀武見騎手騎乗)の前日、1965年(昭和40年)4月3日に第2放送で関西の競馬中継を開始した時の音声は保存されています。関西での『中央競馬実況中継』の第一声をぜひお聴きください。(中継開始のアナウンスをしているのは小坂巌アナウンサー)


第2放送の中継スタート当日の音声はこちらから→聴く


~『中央競馬実況中継』の歴史・その1~
●1954年(昭和29年) 8月27日 日本短波放送(現・日経ラジオ社)開局、わが国初の国内向け短波放送を開始
(※9月16日 日本中央競馬会設立。25日に第1回競馬開催)
●1956年(昭和31年) 10月27日 『中央競馬実況中継』レギュラー放送スタート
(この頃、関東地区の競馬場内実況の一部を担当)
●1959年(昭和34年) 6月21日 中山4歳ステークス(現・ラジオNIKKEI賞)に「日本短波賞」とサブタイトルがついて開催される
●1962年(昭和37年) 4月20日 第1回「競馬を楽しむ会」開催
●1964年(昭和39年) 5月28日 日本短波放送主催「日本ダービー祭」開催(東京・九段会館)
●1965年(昭和40年) 4月3日 第2放送で関西地区の『中央競馬実況中継』放送開始(場内実況も担当)