【がん患者と就労問題】
NPO法人ジャパン・ウェルネス
プログラムディレクター 大井賢一
4年に1度、世界を熱狂させるサッカーのワールドカップが2010年6月11日、アフリカ大陸南端に位置する南アフリカ共和国(以下南ア)のヨハネスブルクで開幕した。
第19回ワールドカップはスポーツ史の新たなページを開くアフリカ大陸初の大会である。
日本がカメルーンに1-0で勝利したことを世界のメディアは“番狂わせ”と驚きを持って伝えた。
南アは、つい最近まで、悪名高い人種差別の国として世界の注目を集めていた。
1960 年代から70 年代にかけて、人口のわずか1割に過ぎない白人の絶対的優位を前提に非白人を差別するアパルトヘイト(人種隔離)体制を確立し、厳格な人種差別政策がとられてきた。
しばしば旧ドイツのナチスと同列に並べられ、その非道さが国際社会で糾弾されてきた。
しかし、こうした国際的非難や圧力の強まり、南ア全土に広がった大衆運動の波が1991 年アパルトヘイト撤廃へと追い込み、1994 年南ア初の全人種参加の総選挙が実施され、ネルソン・マンデラを大統領の座に座らせた。
そして、新南ア政府は新憲法を制定し、人種や性別よる差別などを明確に禁止し、アパルトヘイトのもとで虐げられた黒人層の救済のため、住宅、教育、電気水道等の整備及びに各種の補助政策を進め、貧困状態の改善を目指そうとした。
1 996 年にマンデラ政権からムベキ政権になると、マンデラ政権の社会福祉主義政策を市場重視・競争重視の新自由主義経済政策に転換した。
その背景には、まず市場の自由競争を通し経済の活性化を図ることで経済全体のパイを拡大してこそ、黒人層の生活レベル引き上げも可能になるとの思想がある。
この思想に基づき、虐げられた黒人層を救済するため、一定割合の資本、経営参加を企業に求める黒人優遇政策が加わって現在の南ア経済政策の根幹が形作られた。
この政策により、黒人富裕層が多大な恩恵を得たが、その数は黒人全体の人口から見ればほんの一握りに過ぎない。
結果的に、黒人富裕層のみ人種の隔離が取り払われただけで、未だに多くの黒人が貧困にあえいでいる。
実際に、社会福祉主義から新自由主義へと転換した1996 年からHDI(人間開発指数)が下降し始めている。
この現実から、黒人の間では、長年の闘争を経て白人から南アを取り戻したが、実は黒人の中の富裕層だけのことを考えるものだったのかと疑念が広がりつつある。
そして、それは、南ア特有のものではなく、すでに他の植民地解放闘争を経て独立したアフリカ諸国が辿ってきた道でもある。
最近、「働き盛りのがん」をテーマにしたテレビ報道や新聞記事をよく散見する。実際に、30歳代から40歳代の働き盛りのがん患者が治療を続けながら、どのように働いていくか、体調の管理や周りの人の病気への理解など様々な課題がある。
これは「がん=死」と連想させた時代から、「がん=生」を考える時代になったと言えるのかもしれない。
今日のがん患者の就労問題に対して多くの患者会が声を上げていることに理解を示した上で、この問題が南アの轍を踏まないことを強く願っている。
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