衛星放送時代へ、「デジタルたんぱ」開始~新しいメディアへの取り組み(3) [キーワード60] [ラジオNIKKEI 開局60周年特設サイト]
2014/09/08(月) 13:00

1970年代になると、中波や短波で放送をしたいと考える国が世界中でたくさんでてきました。そのためには、限られた周波数を有効利用する必要があります。つまり、ゆずりあい=詰めあって「イス」を多く作りましょう、というものです。

中波では、それまで10kHzごとにイスを並べていたのを9kHzごとにちょっと狭くして、少しでも多くの局が放送できるようにしました。

また短波では、SSBという従来の半分の周波数帯域で放送する新たな別の方式にすることで対応しましょうと、1979(昭和54)年秋に世界無線主管庁会議(WARK)で確認され、8年後(1987年)に開催された同じ会議で、それを2015年までに全面移行しましょうと提議されました。

中波の場合は、狭くするだけで放送方式は変わらないので特段の問題にはなりませんでしたが(夜間に混信が増えやすくなったというのはあるにしても)、短波の場合は実は大問題だったのです。それは、SSBというのは従来とは異なる別の放送方式だったためです。アマチュア無線などでは使われてきましたが、これを放送にも使おうということになりました。

このSSBはいわゆる普通のラジオではちゃんとした音にならず、それに対応したラジオが新たに必要になるのです(つまりは買い替え。SSB対応機は除く)。ただ、世界的な会議で決まったのですから、それに従わざるをえません。もちろん送信機側の対応も必要です。当社ではこれを通称「2015年問題」と呼んでいました。

一方、1970年代になると、人工衛星を放送分野でも活用しようという動きが高まってきました。1978(昭和53)年には、日本初となる実験用の放送衛星が打ち上げられました。また1980年代以降は、より高い周波数帯の開拓、開発が進んでくるようになります。

そこで、社としても今後の対応策を検討すべく、1982(昭和57)年には、電波委員会が設置されました。ここでは、来るべき衛星放送時代に向けて、衛星放送を自らも手がけるような働きかけを国に対して行ったり、実際に、衛星を使った新たな音声放送(PCM音声放送)の免許申請を1983(昭和58)年6月にしています。

1980年代に入ると、通信の分野もどんどん活発になります。それにあたって、1986(昭和61)年にはニューメディア委員会を設置しました。ちょうど「ニューメディア」という言葉がもてはやされていた頃です。ここでは、先に書いた放送衛星でデータ通信を行おうということを考えていて、実際に1987(昭和62)年8月には放送衛星の2号機(BS-2)にて、当社ならではのアイデアですが、株価のデータ放送の実験を行い、これに成功しました。

この経験を活かし、1989(平成元)年3月には、放送衛星3号機(BS-3b)にて、静止画付のPCM音声放送の実施をしたいという陳情を行います。静止画とはデータ放送の一種ですね。同じ1989年には、放送法が改正され、通信衛星(CS)を用いた放送ができるようになります。1991(平成3)年には、衛星放送準備室を発足し、本格的に衛星放送に参入する体制を整えます。

そして、それが1996(平成8)年、当時のパーフェクTVが日本初のデジタル衛星放送として有料多チャンネルサービスを開始した際に、CSデジタル音声放送2チャンネル分の認定を総務省から受け、8月27日から「デジタルたんぱ501」「デジタルたんぱ502」を開始します。

これは当時としては大変画期的でした。なぜなら、一般のリスナーが電波の強弱やノイズなく、非常にクリアに放送を聴くことができたからです。それまでは、放送局内(例えばスタジオなど)にいないと、あのクオリティでは聴けなかったのです。今で言えば、radikoを初めて聴いた時の衝撃(?)に似たものかもしれません。

ラジオNIKKEI 開局60周年特設サイト: ページが見つかりません。

ページが見つかりません。

An error occurs.