1960年代、深夜放送ブーム [ラジオの歴史] [ラジオNIKKEI 開局60周年特設サイト]
2014/03/19(水) 11:52
1960年代に入り、ラジオはナイター中継に続く大ヒットを飛ばします。
それが"深夜放送"。
「深夜の解放区」と呼ばれ、若者を熱狂させた深夜放送。
「このレコードいいよ」とパーソナリティが言った翌日、
全国のレコード店に若者が殺到。
「始発電車に乗る」と宣言したパーソナリティが、約束どおり始発電車に乗ったところ、
電車が停車するたびに若者が乗り込んできて、
遂にはラッシュアワー並みの満員状態。

深夜放送ブームの真っ只中では、
こんな光景が連日連夜繰り広げられていました。
    

深夜放送は当時のSNSだ

     
「人を動かすならラジオ」
「人を集めるならラジオ」
今でもそう言われるラジオの特性が顕著に現れたのが、この深夜放送ブームでした。

その一方、現在に続くの日本のミュージック・シーンや、
世界に冠たる日本のサブカルチャーを育ててきたのも、
この深夜放送でした。
それまで文化は大人のものでした。
ある程度の人生経験積んだ者だけに許されていたのが文化でした。
音楽はプロの作曲家や作詞家、歌手が作り出すものでした。
しかし60年代頃から流行り始めたフォークソングブームは、
その音楽界の図式を180度転換させました。
学生らアマチュアが自分の言葉で作詞し、
自らが弾くギターで作曲し、自らが歌う。
今では当たり前のこの方法が生み出されたのはこの頃で、
それを支援し、広め、育て上げたのはラジオの深夜放送でした。

商業主義を否定し、
既成メディアへの出演を拒否し続けたフォークシンガーたちが
唯一選んだメディアがラジオだったのです。
自分で作って歌っている曲を自分でしゃべって紹介する。
自分の意見や感情を歌としゃべりで受け手である若者に届ける。
これはまさに今のSNSです。
当時の深夜放送は今のSNSだったのです。
こう考えれば、当時の若者がラジオに熱狂したのもうなずけます。

1965年、「やあやあやあ」が全てを変えた


深夜放送の嚆矢といわれているのが、
1965年にスタートした文化放送『真夜中のリクエストコーナー』です。

その1年前の1964年、東京オリンピックが開催された年に
土居まさるは文化放送に局アナとして入社します。
そして2年目に深夜の音楽番組『真夜中のリクエストコーナー』を担当します。
「やあやあやあ」で始まるざっくばらんなしゃべり方。
ほぼ全員「であります調」でしゃべっていた当時の局アナの中にあって、
彼の友達のようなしゃべり方は、当時の若者のハートをがっちりと掴みました。
その若者というのが団塊の世代です。

1947年から1949年に生まれた団塊の世代はこの時18歳から16歳。
その頃のテレビは、夜は大人向けの番組ばかりで、深夜には放送終了。
その上、1家に1台の時代。
彼らにとってのメディアといえばラジオでした。
親が寝静まった真夜中、
机やちゃぶ台の上に教科書とノートを広げ、
鉛筆を握ることを忘れてラジオにかじりついていました。
おそらく今の若者たちが"つながりたい"という気持ちから
スマホに手を伸ばすのと同じ心理がはたらいていたのでしょう。
今自分は一人だけれど、
この番組を聞いている多くの仲間たちとラジオを通じてつながっている。
思春期特有の孤独感を癒したのがラジオだったのです。
しかも他の世代に比べ圧倒的な数の団塊の世代だけに、
彼らの行動はすぐにブームとなります。
こうして深夜放送は一大ブームとなって日本を席巻していきます。
     

常識を疑い、ニーズを探る


この深夜方法ブームを分析すると、面白いことがわかってきます。
それは常識を疑い、ニーズを探り出し、常識にとらわれない方法でニーズを満たすという
ラジオの手法がこの深夜放送ブームで確立されたという事です。

深夜に若者が起きているはずがないという常識を覆し、
深夜にはつながりを求めている若者が数多く存在していることを探り出し、
それまでとは全く違う、彼らと同じ高さの目線で、彼らの言葉で語りかけることで
彼らが本当に望んでいた番組を生み出したのです。
最近の例で言えば、深夜に起きている高年齢層が居たことを発見し、
彼らのニーズに合った番組を提供するに至った『ラジオ深夜便』があります。

小回りのきかないテレビと違い、
少人数で制作できるラジオは、どんな場所でもすぐに飛び込んでいけます。
まだ世間が気づいていない、小さなムーブメントでも察知するや、
すぐにそれを取りあげて広く知らしめることが出来ます。
しかもパーソナリティが自分自身の言葉で語りかけることで、
リスナーのと距離はぐっと縮み、
受け手の心の奥底まで飛び込んでいけるのもラジオの強みです。

こうやってラジオは深夜に起きていた若い団塊の世代をとりこにしたのです。
そしてそこから今につながる様々な文化が生まれたのです。


時は流れ、1970年代半ば、一つの小さな番組が誕生しました。
ラジオNIKKEIの『ギャングパーク』です。
放送は平日の17時~17時半。
当時局アナだった大橋照子がパーソナリティを務めた音楽バラエティ番組です。

この時間帯、他のラジオ局は夕方ワイド番組を放送しています。
ターゲットは大人。
間もなく仕事が終わるドライバーや、これから夕飯の支度に入る主婦、
そしてまだまだ仕事が続く商工自営業従事者が主なリスナーでした。
こんな時間帯にラジオを聞く若者層がいるなんて誰も考えもしません。
しかしラジオNIKKEIはその時間帯に若者ニーズがあることに気づき、
他局にはない、夕方の若者番組を誕生させ、大ヒットとなりました。
その詳しい話は後日しますが、
これも常識を疑い、ニーズを見つけた例といえます。

深夜放送ブームについてお話しました。
次回はこのブームの10年後に起こったBCLブームについて解説します。

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